追分町(読み)おいわけちよう

日本歴史地名大系 「追分町」の解説

追分町
おいわけちよう

面積:八二・五二平方キロ

昭和二八年(一九五三)一〇月に勇払ゆうふつ郡追分村が町制施行して成立、村制時の四字を継承した。胆振支庁管内の北東部に位置し、北東は夕張山系に連なる山地を境に空知支庁夕張郡由仁ゆに町、北西馬追まおい丘陵を境として石狩支庁千歳市、南は勇払早来はやきた町に接する。町内を安平あびら川が南流し、その流域に追分市街が広がる。町内西寄りを国道二三四号とJR室蘭本線が南北に通り、追分駅を分岐点としてJR石勝せきしよう線が千歳方面から夕張方面に向かう。町域北部を東西に走る道東自動車道には追分町インターチェンジがある。近世はユウフツ場所の一部。明治二年(一八六九)八月の国郡画定により胆振国勇払郡に属した。昭和二七年八月に安平村より分村して勇払郡追分村が成立。もとは北海道炭礦鉄道室蘭線(現室蘭本線)と夕張支線(現石勝線)の追分として発展し、鉄道の街とよばれた。

追分町
おいわけちよう

[現在地名]函館市追分町など

昭和六年(一九三一)九月に設定された町で、北浜きたはま町の東に位置する。それまでの函館区大字亀田村かめだむらの字であった札幌通さつぽろどおりの一部を町域とした(函館市字地番改正調書)札幌本道(現国道五号)大野新おおのしん道の分岐点に位置することによる命名

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報