近戸神社(読み)ちかとじんじや

日本歴史地名大系 「近戸神社」の解説

近戸神社
ちかとじんじや

[現在地名]粕川村月田

字近戸に鎮座。社地は北から延びる低い台地の末端にあり、社前は東から南へ一段低くなって田が広がる。祭神大己貴命・豊城入彦命。旧村社。例祭九月一日。明和八年(一七七一)の社地改書上帳(「粕川村誌」所収)に正一位近戸大明神月田つきだ村鎮守、別当光善こうぜん寺、本地仏虚空蔵菩薩、末社牛頭天王宮・天満宮・弁才天・稲荷明神・山神宮とみえ、「毎年七月朔日午之刻粕川迄御旅御神事勤行仕候、(中略)神酒米弐俵半程但四斗壱升入惣氏子中より受納仕候、あま酒にごり酒を造献上仕候」とある。本地仏は立像で一尺一寸八分、江戸時代の修理の際の記録(松村文書)により木彫仏であることがわかる。室町時代末の作と推定されている。宝暦年間(一七五一―六四)には本地堂が建立されていたようである(登山文書)。あま酒・にごり酒は現在でも九月一日の祭典に使われている。

御川降とよばれる神事が神輿渡御に際して行われる。「近戸ノ本社」といわれる旧社地が西方約二キロの粕川河原にあり、ここの石宮の前に神輿をすえ祭典が執行され、神前に供えた甘酒を川に流して帰途につく。行列は行く時はにぎやかに囃し立てて行くのに反し、帰途は後をも見ずに直路を走り帰る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報