日本歴史地名大系 「辺留城跡」の解説
辺留城跡
べるぐすくあと
[現在地名]笠利町辺留
グスク跡。辺留集落の北側にあり、笠利集落の南側につながる。東は太平洋に接した砂丘と隆起珊瑚礁の海岸で、標高一二メートルを最高地点とする台地に築かれている。奄美大島の中枢に位置しており、慶長一四年(一六〇九)の島津氏の軍勢に対して当城が有力な拠点であったと想定しうる。島津勢が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
グスク跡。辺留集落の北側にあり、笠利集落の南側につながる。東は太平洋に接した砂丘と隆起珊瑚礁の海岸で、標高一二メートルを最高地点とする台地に築かれている。奄美大島の中枢に位置しており、慶長一四年(一六〇九)の島津氏の軍勢に対して当城が有力な拠点であったと想定しうる。島津勢が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新