笠利町(読み)かさりちよう

日本歴史地名大系 「笠利町」の解説

笠利町
かさりちよう

面積:六〇・一九平方キロ

大島の最北端に位置し、南西部で龍郷たつごう町に接する。東海岸地帯は太平洋に面し、喜界きかい島がみえ、西海岸地帯は東シナ海に臨み、笠利湾を抱えている。町の中央部にたか岳・大刈おおかり山・よど山の山系を結んで笠利山地があり、山地の東海岸側は平地も多く、畑作物の栽培が盛んである。西海岸側は佐仁さに川・屋仁やに川・前田まえだ川・宮久田みやくだ川・手花部てけぶ川の諸川が流れ、三方は山に囲まれるものの、一方が海に開かれて水田が営まれていたが、近年は畑作に転換し、黍作に従事する農家が多くなった。国道五八号のほか県道の佐仁―万屋まんや赤木名あかぎな線、万屋赤尾木あかおぎ線などが通る。

笠利半島は大島のなかでもとくに原始・古代の遺跡が多く、西海岸側のサウチ遺跡では饕餮文を刻んだ貝符、紡錘車、磨製石鏃、刻み文をもつ土器などの弥生文化の要素の濃い遺物が多く出土した。東海岸側にはより多くの遺跡が分布しており、喜子川きしがわ遺跡・宇宿うしゆく貝塚・イヤンヤ(ヤーヤ)洞穴遺跡、あやまる第二貝塚・マツノト遺跡などが知られる。なかでも喜子川遺跡ではアカホヤ層(約六千四〇〇年前)の上から爪形文土器が発見され、縄文時代の草創期に属する爪形文土器とは異なる系統のものである可能性が強いことを示唆した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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