辛島郷(読み)からしまごう

日本歴史地名大系 「辛島郷」の解説

辛島郷
からしまごう

現宇佐市辛島を遺称地とし、駅館やつかん川西岸の低地・丘陵地一帯、明治二二年(一八八九)に成立した駅館村・豊川とよかわ村・八幡やはた村・やなぎうら村・四日市よつかいち村の範囲内に所在していたと推定される。宇佐宮領。古代宇佐郡辛島郷(和名抄)を継承する。「宇佐大鏡」によると、当郷は宇佐宮比売神に給与された封戸の庄園化したもので、田数は二四〇町、うち佃四町二反・用作二二町一反。仁治二年(一二四一)の散田帳(年月日未詳「宇佐宮神領次第案」到津文書)によれば、当郷内の名は葛原くずわら郷をも含み一三五名。宇佐宮は当郷郷民に対して雑仕・雑仕女・加用といった人身課役を割当てていた。辛島郷を本貫地とする辛島氏は本姓漆島で、宝亀四年(七七三)三月一四日の八幡大神宮司解(石清水文書)によると、辛島乙日(目か)の名がみえ、辛島氏は平安末期には郡司・郷司として史料上に散見する。

承安二年(一一七二)二月一〇日の大神貞安解(小山田文書)に「辛島郷内田壱町字高石木」とみえ、八幡宇佐宮装束所検校大神貞安が先祖相伝の石丸名を三男酒井安真に譲っている。同年一二月三〇日の中津尾寺座主別当神智紛失状案(到津文書)には「辛島郷大世戸垣」の地名がみえ、当郷司貫首漆島宿禰が証判を加えている。承久三年(一二二一)宇佐嗣輔の所領である宇佐宮領辛島郷恒松つねまつなどに対する甲乙人の濫妨が停止されている(同年八月二一日「六波羅下知状写」益永文書)。暦応五年(一三四二)益永右輔は郷内の藤崎ふじさき田地藤崎屋敷などを安堵されており(同年四月一〇日「宇佐宮政所下文」北艮蔵文書)、これらは江島えしま別符の内に所在していた。康永四年(一三四五)小山田社司小山田敦貞は郷内高岩木たかいわき(現荒木字岩木か)・ナツメカキなど同社免坪付を宇佐大宮司吉松公浦から安堵されている(同年六月日「大神敦貞坪付注進状」小山田文書)

辛島郷
からしまごう

和名抄」宇佐郡一〇郷の一。諸本とも訓を欠くが、現在の宇佐市辛島が遺称地であろう。「太宰管内志」には「加良之万とよむべし」とある。当郷を継承する中世辛島郷に関する史料に散見する地名から、現宇佐市法鏡寺ほうきようじ・辛島・上田うえだ芝原しばはら畑田はたけだ大塚おおつか山本やまもと下乙女しもおとめ・上乙女・荒木あらき森山もりやま尾永井おながい城井じよういがほぼ郷域と推定できる。渡来系氏族で八幡宮(宇佐宮)草創にかかわったとみられる辛島氏(漆島姓)の本貫地とされる。また宇佐宮内封四郷の一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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