軽部村(読み)かるべむら

日本歴史地名大系 「軽部村」の解説

軽部村
かるべむら

[現在地名]清音村軽部・柿木かきのき上中島かみなかしま

高梁たかはし川左岸の沖積平野にある。小屋こや村の西で、北部を山陽道が東西に通る。対岸川辺かわべ(現吉備郡真備町)枝村柿木中島なかしまがある。南東部に軽部山がある。「和名抄」の窪屋くぼや軽部郷の遺称地。「一遍上人絵伝」によれば、一遍が弘安一〇年(一二八七)軽部宿に滞在中、「花のもとの教願、四十八日結縁せむ」として来訪し、一遍の教えに導かれて正念往生を遂げたと記す。また応安四年(一三七一)九州探題として筑紫に下った今川貞世(了俊)は「かるへ川・せいやまなどうちこえて」、矢掛やかげ(現小田郡矢掛町)に至っている(道ゆきぶり)。当地大覚だいかく寺には、暦応五年(一三四二)五月銘の題目石があり、日蓮宗布教の跡がうかがえる。永享元年(一四二九)一二月二日の惣社宮造営帳写(池上文書)によれば、当地の商人らが小物売役・随兵役などを勤めている。当地は鎌倉末期以後山陽道の宿として繁栄していたと想像される。応永元年(一三九四)仮託の吉備津宮惣解文写(吉備津神社文書)によれば、軽部郷から栗毛駒一〇疋が坂本影延によって奉納されている。また同宮の流鏑馬料足納帳によると、「かるへ」から寛正六年(一四六五)分として三〇〇文が納められている。元亀―天正(一五七〇―九二)頃には、福武佐渡方の福武四郎太郎の給地になっており、「かきノ木」の名がみえる(天正五年八月二八日「福武四郎太郎給知書上」福武文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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