軍備縮小問題

山川 世界史小辞典 改訂新版 「軍備縮小問題」の解説

軍備縮小問題(ぐんびしゅくしょうもんだい)

18世紀以降,ヨーロッパでは国家間の話し合いによる軍備削減撤廃が必要と認識され始めた。1816年にはロシア皇帝アレクサンドル1世の兵器削減アピールが出されたが,帝国主義間の緊張が高まった19世紀末,ハーグ平和会議の場でニコライ2世の軍事予算制限論が提起され,より実践的な問題と認識されるようになった。第2次ハーグ平和会議(1907年)では,各国政府に「陸海軍戦力および軍事予算の制限」が呼びかけられた。しかし,第一次世界大戦勃発によって合意の可能性は決定的に妨げられ,ようやく大戦後国際連盟規約第8条で「必要最小限度までの軍備制限」という目標を掲げた軍縮条項が成立し,25年に設置された軍縮準備委員会には,米ソ両非連盟加盟国も参加,軍縮に関するあらゆる問題を討議した。1932年のジュネーヴ軍縮会議では,陸軍・海軍の戦力削減がドイツの「同権化」要求をも考慮するなかで検討されたが,枢軸国の侵略行為は世界協調の阻害要因を醸成し,第二次世界大戦を招いた。大戦後,英米は伝統的な戦力の縮減は認めたが,冷戦激化のなかで核戦力配備を推進したため,「雪どけ」以降核軍縮が軍縮問題の中心課題になっていった。63年には包括的核実験禁止条約(CTBT)が成立し,軍縮の対象となる空間宇宙にまで拡大したが,主権国家の軍備権を認めている限り戦争禁止によっても世界の破壊の危険は回避できないとする声も強い。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報