足村(読み)あしずりむら

日本歴史地名大系 「足村」の解説


あしずりむら

[現在地名]土佐清水市足摺岬あしずりみさき

大谷おおたに村の南、足摺半島の先端部を占める村で、西方にある伊佐いさ村の枝村。弘仁年間(八一〇―八二四)嵯峨天皇の勅により空海が開創したと伝える足摺山金剛福こんごうふく寺の所在地。また岬は補陀落渡海の場として知られ、岬の背後にある山は足摺山(蹉山とも、一六八メートル)とよばれて、古来修験の霊山として信仰の地であった。なお足摺岬の現灯台が造られたとき、経筒二個が発見されている。伊佐経塚とよばれ、鋳銅製の経筒は一つが総高二三・六センチ、口径一五・五センチ、他の一つは総高二三・六センチ、口径一五・七センチで鎌倉時代のもの。金剛福寺関係の経塚であろう。

応保元年(一一六一)一二月日の幡多郡収納所宛行状写(「蠧簡集」所収金剛福寺文書)によれば、この時収納使西禅から「蹉御崎」(金剛福寺)に千手観音経田三町が寄進されており、その一町は「御崎村」にあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報