越智氏(読み)おちうじ

改訂新版 世界大百科事典 「越智氏」の意味・わかりやすい解説

越智氏 (おちうじ)

古代の伊予国の豪族越智郡(現,愛媛県今治市,越智郡)を根拠地とし,孝霊天皇の孫小千御子の流れをくむと伝えられる。大化前代には小千国造として見え,律令制下では越智郡の郡司として勢威を有した。直(あたい)の姓(かばね)を有する者が多い。また一族の中には,大学博士となった越智直広江や,《新撰姓氏録》の編纂に関与した越智直浄継のように中央で活躍する官人もいた。平安時代の中期になると,一族の中には伊予掾(いよのじよう),同目(さかん)などの雑任国司の地位を得て,在庁官人として国衙に進出する者も多くなった。その一人越智用忠は948年(天暦2),藤原純友をはじめとする海賊追討の功により叙位を許された。中世に活躍する河野氏新居(にい)氏はいずれも越智氏の流れをくむと伝える。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「越智氏」の意味・わかりやすい解説

越智氏
おちうじ

(1)伊予の越智氏 伊予国(愛媛県)越智郡の豪族。物部(もののべ)氏の一族子到命(小致命)(おちのみこと)が小市国造(おちのくにのみやつこ)に任ぜられ、子孫は越智郡(小市国の後身)領として直(あたえ)姓を称し、835年(承和2)11月には子孫の越智広成(ひろなり)が直を改め宿禰(すくね)姓を賜る。物部氏の後裔(こうえい)と思われるが、『予章記(よしょうき)』や越智氏、河野(こうの)氏の系図では、孝霊(こうれい)天皇の皇子伊予皇子(彦狭島尊(ひこさしまのみこと))の子小千御子(おちのみこ)が越智氏を称したのに始まるという。子孫は伊予を基盤として繁栄し、河野、土居(どい)、得能(とくのう)、新居(にい)などの諸氏を派生した。

(2)大和(やまと)(奈良県)の越智氏 祖先について諸説があるが、興福寺(こうふくじ)一乗(いちじょう)院方の国衆(くにしゅう)として南大和に勢力を張り、南朝に通じて活躍した。維通(これみち)、家栄(いえひで)が有名。

[山本 大]

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世界大百科事典(旧版)内の越智氏の言及

【大山祇神社】より

…大山積神は《古事記》《日本書紀》では山の神とされているが,またの名を和多志(わたし)大神と称し百済から渡来したとの伝えもある(《伊予国風土記》逸文)。越智(おち)地方の旧族越智氏から出て伊予の国主となり,海上にも発展した河野氏の祭祀をうけたため海上守護神の性格も強い。766年(天平神護2)神階従四位下を授けられ神戸(かんべ)5戸をあてられ,875年(貞観17)正二位に累進。…

【津島[町]】より

…三方を山に囲まれ,町域北端の鬼ヶ城山(1151m)に発して宇和海に注ぐ岩松川などの河川沿いに低地がある。一帯は津島郷とよばれ,中世,岩松の天ヶ森城に拠ってあたりを支配した越智氏は,津島殿と称された。江戸時代,宇和島藩の地方(じかた)支配の区分では津島組であった。…

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