赤石町(読み)あかしまち

日本歴史地名大系 「赤石町」の解説

赤石町
あかしまち

[現在地名]三木本町ほんまち二―三丁目

しん町の北西に位置する。三木町の町方町の一町で、しも五ヵ町に属する。明石に向かう道筋に位置したため明石町とも書いた。慶長国絵図にみえる三木町の一部。文化元年(一八〇四)の三木町家別人数並諸商売書上写(三木市有文書)によれば家数一二八・人数五四九。弘化二年(一八四五)の家数取調帳(同文書)では家数一二六、うち一六軒は地方町の前田まえだ町にある。延宝検地の折、代々領主から許されてきた三木町の地子免除の特権が廃止されそうになったため、大西与三右衛門と岡村源兵衛町民を代表して出府、直訴した(美嚢郡誌)

赤石町
あかいしちよう

[現在地名]函館市青柳町あおやぎちよう

明治六年(一八七三)町名町域再整理の際に、尻沢辺しりさわべ町を細かく区画割してできた町の一つで(「事業報告」第一編)住吉すみよし町の北東にあたり、東は海に臨む。「蝦夷日誌」(一編)は町名の由来となった赤石について「少し計の岩石有。色赤きよりし而号るもの也。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報