貫井村(読み)ぬくいむら

日本歴史地名大系 「貫井村」の解説

貫井村
ぬくいむら

[現在地名]小金井市貫井南町ぬくいみなみちよう一―五丁目・貫井北町ぬくいきたまち一―五丁目・前原町まえはらちよう三丁目

現市域の西部に位置し、東は上小金井村、南は府中新ふちゆうしん宿、西は国分寺村。田園簿に村名がみえ、田一三石余・畑四六石余、ほかに野銭永一二五文。近世初頭から新田開発が進められ、国分寺崖線縁辺や川南岸の土地を開発した。名主の鈴木氏は武蔵野の大規模な開発を計画したが、飲料水に不自由し失敗している(「貫井村内野開発願」野中家文書)。明暦三年(一六五七)恋ヶ窪こいがくぼ(現国分寺市)・国分寺村・当村が組合をつくり、用水の分水(国分寺村分水)を許可された(上水記)。正徳二年(一七一二)鈴木氏は国分寺村の六右衛門とともに開発願を出し、享保元年(一七一六)にも開発願を出している(鈴木家文書)

貫井村
ぬくいむら

[現在地名]大津市葛川貫井町かつらがわぬくいちよう

えのき村の北、比良山系の高峰武奈ぶなヶ岳(一二一四・四メートル)の西麓にあたり、安曇川上流の葛川谷の若狭街道沿いに立地。建仁二年(一二〇二)九月の無動寺政所下文(葛川明王院史料)に「温井谷」より上の杣作を停止するとみえる。正嘉二年(一二五八)には葛川公文職の給田として温井名田が充てられていた(一二月一九日「葛川公文職補任状」同書)

貫井村
ぬくいむら

[現在地名]神川町貫井

植竹うえだけ村と児玉郡中新里なかにいさと村の西に位置し、南から西は小浜こばま村。田園簿では田方一四八石余・畑方七六石余、旗本室賀領(幕末に至る)。「風土記稿」によると家数四〇余、用水は楠川堰組合に所属。鎮守豊受とようけ神社。「風土記稿」に小松こまつ明神神明合社、「郡村誌」では小松神社とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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