武蔵野(読み)むさしの

精選版 日本国語大辞典 「武蔵野」の意味・読み・例文・類語

むさし‐の【武蔵野】

[1]
[一] (古くは「むざしの」) 広くは関東または武蔵国の平野をさすが、一般には入間川・荒川多摩川に囲まれ、東京都と埼玉県とにまたがる洪積台地をいう。
※万葉(8C後)一四・三三七九「わが背子を何(あ)どかも言はむ牟射志野(ムザシの)のうけらが花の時無きものを」
[二] 東京都中央部の地名。区部に西接する。明暦大火(一六五七)後計画的に開墾。関東大震災後、郊外住宅地として脚光をあび、第二次世界大戦後住宅都市となる。南端に井之頭公園がある。昭和二二年(一九四七)市制。
[三] 小説。国木田独歩作。明治三一年(一八九八)発表。東京郊外渋谷村での見聞や武蔵野の景観を、日記や感想をまじえて描写。ツルゲーネフワーズワースの影響が濃い。
[2] 〘名〙
① ((一)(一)は広大で一目で野を見尽くせないところから「飲み尽くせない」にかけて) 大きな杯。
※俳諧・毛吹草(1638)六「武蔵野の新はいなれやけふの月〈重供〉」
② 広大なもののたとえ。
※評判記・朱雀信夫摺(1687)上「境内武蔵野也」

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百科事典マイペディア 「武蔵野」の意味・わかりやすい解説

武蔵野【むさしの】

関東平野南西部にある洪積台地武蔵野台地)の通称。多摩川が古東京湾に流入して形成した隆起扇状地で,中部以東は隆起海岸平野。標高20〜190m。一般に三浦層群の上に砂礫(されき)層がのり,最上部に関東ロームが堆積。水に乏しく開発がおくれたが江戸期玉川上水開削などで新田集落が成立。雑木林が多く東京近郊の散策地として知られたが,現在は大部分が都市化している。
→関連項目朝霞[市]愛宕山(東京)入間[市]上福岡[市]関東平野埼玉[県]狭山丘陵志木[市]多摩丘陵鶴ヶ島[市]東京[都]所沢[市]新座[市]富士見[市]和光[市]

武蔵野【むさしの】

国木田独歩短編小説。1898年《国民之友》に《今の武蔵野》として発表,1901年《武蔵野》と改題,民友社刊行の第一文集《武蔵野》に収めた。渋谷村(現,東京都渋谷区)在住当時の武蔵野の風物を描いたもので,ワーズワースツルゲーネフ(とくに二葉亭四迷訳《あひゞき》)の影響がみられる。すぐれた自然描写で,徳冨蘆花の《自然と人生》と併称される。

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「武蔵野」の解説

武蔵野

正式社名「株式会社武蔵野」。英文社名「MUSASHINO CORPORATION」。食料品製造業。昭和44年(1969)「株式会社武蔵野フーズ」設立。平成4年(1992)現在の社名に変更。本社は埼玉県朝霞市西原。中食メーカー。弁当おにぎり・すし・調理パン・調理麺などを製造。セブン‐イレブン向け販売が主力全国に事業拠点を展開

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デジタル大辞泉 「武蔵野」の意味・読み・例文・類語

むさし‐の【武蔵野】

東京都と埼玉県にまたがる洪積台地。南は多摩川から、北は川越市あたりまで広がる。古くは牧野、江戸時代から農業地に開発され、雑木林のある独特の風景で知られた。武蔵野台地。
東京都中部の市。住宅地として発展。中心は吉祥寺きちじょうじ井の頭自然文化園がある。人口13.9万(2010)。
[補説]作品名別項。→武蔵野

むさしの【武蔵野】[書名]

国木田独歩の第1小説集。明治34年(1901)刊。秋から冬にかけての武蔵野の美しさなどを描いた短編17編を収録
山田美妙による短編の歴史小説。明治20年(1887)11月から12月にかけ、読売新聞付録で全3回で連載。最初の言文一致体の新聞小説として知られる。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武蔵野」の意味・わかりやすい解説

武蔵野
むさしの

国木田独歩の短編小説。 1898年発表。発表時の題名は『今の武蔵野』。『源叔父』『忘れ得ぬ人々』など 18編を収めた文集『武蔵野』 (1901) に収録したとき改題された。作者が豊多摩郡上渋谷村 (現在の東京都渋谷区) 在住当時の見聞をもとに武蔵野一帯の風物を描いたもので,清新なリアリズムと抒情精神が高い評価を受けた。

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世界大百科事典 第2版 「武蔵野」の意味・わかりやすい解説

むさしの【武蔵野】

関東平野西部に広がる洪積台地の武蔵野台地をいう。北西を入間(いるま)川,北東を荒川,南を多摩川の沖積低地で限られ,西端の関東山地山麓から東端の山手台地まで東西約50kmに及ぶ広大な台地で,数段の段丘面からなり,標高20~190m。沖積地からの比高は10~40mに達している。砂礫層の上に関東ロームと呼ばれる厚い火山灰層がのり,水が乏しいため開発は遅れた。江戸時代に入って神田上水(1591),玉川上水(1654),野火止(のびどめ)用水(1655),千川上水(1696)などが開削され,享保年間(1716‐36)以降しだいに新田開発がすすみ,武蔵野新田が形成されていった。

むさしの【武蔵野】

国木田独歩の短編小説。1898年1~2月,《今の武蔵野》の題名で《国民之友》に分載。第1小説集《武蔵野》(1901)に収められた。1896年9月から翌年4月まで当時武蔵野の面影を残していた渋谷の岡の上に住み,近郊の林や野道や小川のほとりを散歩して得た印象を新鮮な感覚で描いた作品。伝統的な松林の美しさなどではなく,秋から冬にかけての武蔵野の落葉林の美しさを中心に描くについては,文中に引用されている二葉亭四迷訳のツルゲーネフ作《あひゞき》の影響が著しい。

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世界大百科事典内の武蔵野の言及

【武蔵国】より

…51年(正平6∥観応2)の師直滅亡後,一時は直義党の上杉憲顕がこの地位に就くが,翌年の尊氏下向によって仁木頼章に代えられる。下向した尊氏は直義を殺し,府中,小金井で新田義興の軍を破るが(武蔵野合戦),南朝方の京都占領という事態を迎え,翌年7月に関東の大軍を率いて上洛する。しかし関東では旧直義党や新田党の抵抗がやまず,鎌倉公方(くぼう)足利基氏は入間川に在陣を余儀なくされる。…

【武蔵野新田】より

…享保年間(1716‐36)に開発を開始し,元文年間(1736‐41)に検地を受けた武蔵野地方の新田の総称。《新編武蔵風土記稿》によれば武蔵野新田の村数は82であるが,それを78(戸数1327)とした文書もある。…

【郊外】より

…また郊外の語の意味が,都市周辺の田園地帯を指すものから,しだいにこれらの鉄道沿線に発達した住宅地を指すものへと変わっていった。日本における郊外の変化,発達を記録した優れた文学作品に,国木田独歩の《武蔵野》(1901)と徳冨蘆花の《みみずのたはごと》(1913)がある。前者は鉄道が発達する以前の東京周辺の自然描写と並んで,〈郊外の林地田圃に突入する処の,市街ともつかず宿駅ともつかず,一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈している場処を描写すること〉の詩興を記し,後者では,蘆花が1907年に移り住んだ現在の東京都世田谷区粕谷1丁目の地の生活の変化(蔬菜畑の増加,鉄道開通,地価上昇等)を詳細に記録している。…

※「武蔵野」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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