豊前道(読み)ぶぜんみち

日本歴史地名大系 「豊前道」の解説

豊前道
ぶぜんみち

豊後国古城蹟并海陸路程」によれば、豊前道は「豊前への道」「日出道」「豊前国え越申道」などの呼称があり、近代になっても複数の豊前道が存在し、統一されていない。このため近世における現大分県域の豊前と豊後との間の主要道を豊前道と位置付け、元禄豊後国絵図・元禄豊前国絵図などの史料から概観する。両絵図には城下と城下を結ぶ道は太線、その他は中線・細線で表されている。「豊後国志」には各郡ごとに「路程」という項目があり、そのうち豊前道とされる路程としてまず大分郡の項に「速見郡日出城路、府内城西、渉賀来郷赤松嶺、二里余(中略)、是速見郡界朝見郷赤松村也、自是距日出城四里余通計七里」、次いで速見郡の項に「豊前国宇佐宮路、中津城路、日出城西北、至山香郷平山村、五里余(中略)、是豊前国宇佐郡界也、自是距宇佐宮一里通計六里余、距中津城七里通計十二里余」の二つの路程が確認され、元禄豊後国絵図などによる豊前道は府内城下から別府村―日出ひじ(現日出町)立石たていし(現山香町)岩崎いわさき(現宇佐市)を経て宇佐宮―中津に至る道であるとされる。しかし元禄豊前国絵図からみた豊前道は小倉から中津―宇佐宮―佐田さだ(現安心院町)を経て別府へ向かう道が主要道として認識・作図されている。このように両絵図の認識には相違がみられる。この間の通行例をみると、絵図の作成時期に近い元禄七年(一六九四)貝原益軒は中津から日出経由で府中に向かい、帰路は別府から佐田経由で宇佐に向かっている(豊国紀行)。享保二年(一七一七)には中津城請取のため岡藩主中川久忠が竹田から別府を経て佐田経由で中津に向かい(中川氏年譜)、天明三年(一七八三)古河古松軒は宇佐から日出経由で別府に向かっている(西遊雑記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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