谷津遺跡(読み)やついせき

日本歴史地名大系 「谷津遺跡」の解説

谷津遺跡
やついせき

[現在地名]中央区花輪町 谷津

東京湾に向かって開口する生実おゆみ谷の一支谷である大森おおもり支谷に面した標高三〇メートル弱の舌状台地上に立地。古墳時代後半から奈良・平安時代にかけての集落遺跡。昭和五一年(一九七六)から同五二年にかけての発掘調査で検出されたおもな遺構は古墳時代後期の竪穴住居跡八七軒と奈良・平安時代の竪穴住居跡八一軒・掘立柱建物跡一四棟・鋳銅工房跡一軒で、出土遺物のうち古印鋳型・錫杖鋳型が特記されるが、平安時代に鋳銅工房で古印や錫杖などを製作していたことは明らかである。

谷津遺跡
やついせき

[現在地名]小田原市谷津

国鉄小田原駅の北方約五〇〇メートル、谷津丘陵が酒匂さかわ低地に移行する先端部にあった弥生中期の遺物包蔵地。明治三六年(一九〇三)横浜刑務所分監建設工事中に発見され、大正九年(一九二〇)敷地拡張工事により丘陵先端が削平されたため遺跡は消滅した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報