谷沢村(読み)やざわむら

日本歴史地名大系 「谷沢村」の解説

谷沢村
やざわむら

[現在地名]石川町谷沢

矢沢とも記す。北西流する飛鳥あすか川流域の平地と丘陵地に位置し、北西の形見かたみ村から同川に沿って御斎所ごさいしよ街道が村内を抜け、南東の坂路さかじ村に至る。地内には二九基の板碑が所在し、延元三年(一三三八)・永和二年(一三七六)・同四年などの紀年銘を有するものが含まれる。字戸賀とがに中世の太鼓たいこ館跡があり、館主は石川一族の矢沢氏と推定される。「尊卑分脈」では、石川氏の祖とされる有光の曾孫石川七郎光村が矢沢を号している。文永二年(一二六五)八月二三日の北条時宗下知状(秋田藩家蔵赤坂文書)によると、坂路光重(光村の兄)の子光信とその甥光行が石川庄蒲田かまた(現古殿町)をめぐって相論に及んでいるが、その際に光信は、承元三年(一二〇九)祖父石川光盛が「坂地・千石・富沢・谷俣・都賀・河部・給当・堤・廻谷」を嫡子光重に譲ったと述べている。

谷沢村
やざわむら

[現在地名]三川村谷花やばな 谷沢

阿賀野川が小花地こばなち村から南流、湾曲して北流する地点の南岸にあり、西は五十島いがしま村。北に砥石といし山がある。角島つのしま村・西にし村・大牧おおまき(現津川町)、谷沢村・岩谷いわや村・熊渡くまわたり村・石間いしま村、小松こまつ(現北蒲原郡安田町)などを下条げじよう通と称し、新潟への水陸両方の道がある(新編会津風土記)。阿賀野川左岸に激流によって浸食されてできた数珠玉形や水盤形などの甌穴群がみられる。文禄三年(一五九四)七月の蒲生氏高目録帳(内閣文庫蔵)に「八沢 黒谷 三百十六石一斗二升」とあり、給人は平左。

谷沢村
やさわむら

[現在地名]寒河江市谷沢・高松たかまつ

平野ひらの山・山の北、寒河江川南岸の河岸段丘上に位置し、集落はほぼ東西に線状をなす。最上氏改易後は幕府領山形藩預地、寛永三年(一六二六)山形藩領、同一三年幕府領となって幕末に至る。元和八年(一六二二)の高九六二石余(最上記)。承応二年(一六五三)の年貢割付状(加藤文書)によると田畑屋敷ともで高九三九石余。免は五ツだが、川欠けなど引分があり、二ツ八分六厘取りになっている。

谷沢村
やざわむら

[現在地名]引佐町谷沢

浅間せんげん(五一九メートル)の南麓に位置し、北は三河との国境、西は狩宿かりしゆく村、南は奥山おくやま村。南部の谷沢川(神宮寺川支流)沿岸に旧郷社の六所神社がある。創建年代は不詳だが、文禄四年(一五九五)一一月吉日の再建棟札(社蔵)に「奉再興大明神八王子両宮、遠江国引佐郡谷沢村各々敬白」と記される。元和元年(一六一五)には高八〇石余、田五町四反余・畑一町八反余(龍潭寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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