諸浦(読み)もろくいうら

日本歴史地名大系 「諸浦」の解説


もろくいうら

[現在地名]美保関町諸喰

日本海に面し、東は高森たかもり(摩多幾利山)しぶたに(馬見山)を境に雲津くもづ浦、西は中船なかふね山、鶴鉾つるほこ(築堀山)を境に七類しちるい浦、南は中船山稲荷いなり山を境に森山もりやま村・ふく浦。東西に雲津浦へ至る通称雲津道が通り、西の女良谷めらだにから南へ分れ福浦西道となり、中川原なかかわらからも南へ分れ福浦東道となる。浦の北西法田ほうだ川・女良川の注ぐ法田湾一帯を法田と称している。「出雲国風土記」島根郡の這田ほうた浜は地内の法田に、結島門ゆいのしまと島は法田湾北の青木あおき島に比定されている。島門は島と島の海峡をさし、青木島とすると対岸の鶴鉾山との海峡をさすことになる。文明元年(一四六九)ないし同二年と推定される四月二六日の京極持清書状(佐々木家文書)に、美保郷内として諸久江浦がみえ、当地に比定される。天正二年(一五七四)四月二二日、湯原春綱は「もろくい」などの浦の帆役を与えられている(「湯原春綱帆役覚書」閥閲録)伝承では屈指の良港だった法田で流行病があり、東隣の諸喰湾の方へ移住したのが諸喰の始まりと伝えられる。その後廃村状態の法田へ神門かんど郡の船乗りが風待ちに立寄ったところ良港であることがわかり、当地へ移住したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報