美保関町(読み)みほのせきちよう

日本歴史地名大系 「美保関町」の解説

美保関町
みほのせきちよう

面積:五五・三六平方キロ

島根半島の東端に位置し、北と東は日本海に面し、西は島根町と松江市。南は中海・さかい水道・美保湾に臨み、中海を隔てて八束町、境水道を挟み対岸は鳥取県境港市北方の隠岐郡島前どうぜんまでは約五〇キロ。東西一九・五キロ、南北の最長幅六・二五キロと東西に細長く、中央南寄りを標高二〇〇―三〇〇メートルの山地が東西に延びる。町域の八六パーセントが山林原野で、耕地は一〇パーセントしかない。東から寺尾てらお(一九八・一メートル)馬見うまみ(二〇三メートル)稲荷いなり(二五三・七メートル)高尾たかお(三二八・四メートル)やけヶ峯(八景ヶ峰、二八〇メートル)白髪しらが(二九三・七メートル)みや(二五七メートル)ちゆう(二九〇・五メートル)が並び、松江市との境には枕木まくらぎ(四五六メートル)がある。山地の北側・南側とも分水線からの幅が狭いため小さな川が多く、北流する川一二本、南流する川四本で、いちばん長い稲積いなづみ湾に注ぐ稲積川が三・七キロで、菅浦すげうら川の二・五キロ、七類しちるい川の二・一キロが比較的長い。海岸線の総延長は一〇九・一キロで、隠岐郡西にししま町に次ぐ。北岸はすべて沈降性またはリアス海岸で、岬・島・湾などが入組み、湾の奥に三日月浜が形成され、そこに集落がある。南岸は北岸よりやや急傾斜で海に落込むが、海岸線は緩やかで、島はあまりなく岩礁がいくつかみられる。南海岸線に沿って松江市から続く国道四三一号、主要地方道境―美保関線が走り、北岸には主要地方道松江―鹿島―美保関線、一般県道松江―七類港線、七類―雲津くもづ長浜ながはま線が走る。南北を結ぶ道路はトンネルで七類峠を越える一般県道七類港線、松江市手角たすみ町から北へ折れて中山なかやま峠を越える松江―七類港線のほか、法田ほうだ越・諸喰もろくい峠越・中山越・杢井もくい越がある。

町域では百数十ヵ所もの縄文遺跡が確認されている。天然の洞窟や岩陰が住居として利用され、中海南岸の森山もりやま地区のサルガはな洞窟遺跡やその東方二キロにある権現山ごんげんやま洞窟遺跡が代表的な遺跡である。弥生遺跡はまだ一〇例ほどしか確認されていない。古墳は一〇〇基余りが確認されている。昭和五八年(一九八三)郷の坪ごうのつぼ遺跡と伊屋谷いやだに遺跡で、県内で初めて製塩土器が確認された。郷の坪遺跡では五―六世紀頃の須恵器土師器、伊屋谷遺跡では七―八世紀頃の須恵器が伴出した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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