諫山郷(読み)いさやまごう

日本歴史地名大系 「諫山郷」の解説

諫山郷
いさやまごう

和名抄」高山寺本・東急本ともに「諫山」と記すが訓を欠く。「福山志料」はイサヤマと注する。「日本地理志料」は本郷ほんごう今津いまづ松永まつながひがし柳津やないづ藁江わらえ金見かなみ藤江ふじえ(現福山市)西にし高須たかす浦埼うらさき(現尾道市)の諸村をあげる。「大日本地名辞書」は「今山南村、鞆津町等かとおもはるれど、不詳」とする。

「福山市史」は沼隈町のうち旧山南さんな村、福山市とも町方面に推定する説、旧版「広島県史」の古くは鯨を「いさな」と訓じたことを理由に同市水呑みのみ町のくじら山を遺名とする説、「西備名区」の福山市神村かむら町の伊勢いせ山を遺名とする説を併記する。

諫山郷
いさやまごう

「和名抄」下毛郡七郷の一つの系譜をひく中世郷。「太宰管内志」京都郡の条に「名義は、胆狭山部の居たる処にて、負せたるべし(中略)さて胆狭山部のイサと云事の起りは(中略)もし禁(イサ)むる意にて、山を守る者の事などにや」とみえる。嘉禎二年(一二三六)三月の大神仲子所領所従譲状(田口文書)に「下毛郡諫山郷田口浦」とある。

諫山郷
いさやまごう

「和名抄」諸本とも文字の異同はなく、訓を欠く。「太宰管内志」は「伊佐也万と訓ムべし、名義は、胆狭山部の居たる処にて、負せたるべし」と記し、「日本書紀」安閑天皇元年閏一二月条に「筑紫君の胆狭山部」とみえる。同書天智天皇一〇年(六七一)一一月一〇日条にみえる「筑紫君薩野馬」、持統天皇四年(六九〇)一〇月二二日条にみえる「筑紫君薩夜麻」なる人物も当郷にかかわるとみられている。

諫山郷
いさやまごう

「和名抄」下毛郡七郷の一。諸本とも訓を欠くが現三光さんこう村諫山が遺称地とみられ、郷域も同所を含む三光村北西平地部一帯に比定される。天平一二年(七四〇)藤原広嗣の乱で反乱軍に加わり、同年九月二五日に大野東人が率いる朝廷軍に帰投した郡司らのなかに、「下毛郡擬少領無位勇山伎美麻呂」の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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