西浅井村(読み)にしあさいむら

日本歴史地名大系 「西浅井村」の解説

西浅井村
にしあさいむら

[現在地名]西尾市西浅井

市の北東に位置、矢作川東岸の沖積地に、堤防沿いに断絶する丘陵、通称浅井山の麓に開けた村。東側が東浅井村、西側が西浅井村である。村名は、井戸が深くないのに清水が湧出たところから生れたという(三和村誌)。「和名抄」に記す碧海あおみ郡一五郷の中の呰見あざみ郷を浅井村にあてる説が多い。「日本地理志料」は「古風土記に阿座胆に作る。以つて浅井の呰見たるを知るへき也」としている。「大日本史」国郡志には「呰見郷今作浅井村幡豆郡、見井一声之転也」とあり、「三河国古蹟考」にも

<資料は省略されています>

と記し、浅井村にあてている。「長円寺記」に「浅井村有台家僧坊千数、須美村亦有台宗千坊」とあり、西浅井村の宿縁しゆくえん寺を宿縁坊、東浅井村の正光しようこう寺を正光坊と称し、ともに台家僧坊の一つであったという。

西浅井村
にしあざいむら

[現在地名]一宮市浅井あざい西浅井にしあざい

東は東浅井ひがしあざい村、北は江森えもり村に接する。「尾張志」は古くは東浅井村と一村であり、慶長の伊奈備前検以後分村したというが、すでに明応五年(一四九六)の阿弥陀如来絵像裏書(長誓寺蔵)に「一宮郷東(浅)井」とみえ、天正九年(一五八一)の証如絵像裏書(同寺蔵)にも一宮郷東浅井村とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android