蜆ヶ森貝塚(読み)しじみがもりかいづか

日本歴史地名大系 「蜆ヶ森貝塚」の解説

蜆ヶ森貝塚
しじみがもりかいづか

[現在地名]富山市北代

北代きただい集落の北西部、舌状に延びた丘陵末端(標高四メートル)に建つ白鬚しらひげ社の境内に位置する。縄文時代前期の貝塚。貝が白く散布する様は古くから異様な関心をもたれたようで、シジミは蝶に化して船倉ふなくら山に飛び去った後の殻であるとか(肯泉達録)、「此村にすゞめの森と云ふ宮あり。古へは川筋にて蜆貝を積みたる舟則島となりけるを宮地となしけるとなり。此森の形舟のなりに似たり。今も森の中に蜆貝のから多く有り。すゞめは蜆の云誤か。この辺往古は大河にて北代の辺まで大船の通路なりけるよし」などの伝説がある(越中旧事記)

明治四三年(一九一〇)「東京人類学雑誌」に北代村の貝塚として北浦忠雄が報告し、以後昭和一七年(一九四二)立命館大学の藤岡謙二郎、同二三年富山考古学会、同二八年富山大学考古学同好会の調査など、小発掘が幾度か行われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報