藤沢小路(読み)ふじさわこうじ

日本歴史地名大系 「藤沢小路」の解説

藤沢小路
ふじさわこうじ

[現在地名]水戸市みなみ町二―三丁目・梅香ばいこう一―二丁目

裏南うらみなみ町の南に東西に通じる町で、西は鷹匠たかじよう(神応町)、東は黒羽くろばね町に至る。古くから開けた地で、「水府地名考」に「西町より□所へ出奈良屋町を経て柵町より那珂河の津渡への通路にて最古るく開けし往還なるべし」とみえる。「此地辺は往古常葉郷神生村」(水府地理温故録)で、建長二年(一二五〇)の吉田社領家小槻淳方下文写(吉田神社文書)に「吉田社領内神生・佐渡村」、応永一二年(一四〇五)の吉田郷等田地検注目録写(吉田薬王院文書)に「神生村 作田六段」とみえる。中世、大掾氏の庶流がこの地に住み神生氏と称したとされ、「江戸家の代に至ては神生平ラ共称したる由」(水府地理温故録)で、「水府地名考」では「神生平」を「カノフタヒラ」と読む。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報