藤原家通(読み)ふじわらのいえみち

朝日日本歴史人物事典 「藤原家通」の解説

藤原家通

没年:文治3.11.1(1187.12.2)
生年康治2(1143)
平安末期・鎌倉初期の貴族。大納言藤原重通と大納言源師頼の娘の子。ただし,実父中納言藤原忠基,実母は重通の家女房藤原有広の娘。六角中納言と号した。左兵衛佐,左少将,右中将,蔵人頭を経て,仁安1(1166)年参議となり,以後右兵衛督左兵衛督を兼ね,寿永2(1183)年権中納言に昇り,さらに右衛門督,使庁別当,左衛門督を順次兼任。文治3(1187)年,病により官を辞した日に死去和歌の才能に関して『古今著聞集』に逸話みえ,また笛の才にも恵まれた。日記『角金記』がある。

(上杉和彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原家通」の解説

藤原家通 ふじわらの-いえみち

1143-1187 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
康治(こうじ)2年生まれ。藤原忠基の次男。大納言藤原重通の養子。永万2年(1166)参議となり,のち権(ごんの)中納言,正二位。六角中納言とよばれる。笛の名手。「千載和歌集」などの勅撰集に4首がはいる。文治3年11月1日死去。45歳。

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