薬師堂町(読み)やくしどうちよう

日本歴史地名大系 「薬師堂町」の解説

薬師堂町
やくしどうちよう

[現在地名]奈良市薬師堂町

毘沙門びしやもん町の南に所在。町西北端の御霊ごりよう神社付近を御霊前ごりようのまえ町ともいった。「奈良曝」に「御霊のまへ町と壱つニあハせ、町役卅六軒」とみえる。「春日社記録」中臣祐賢記の文永六年(一二六九)五月一八日条に「薬師堂郷民等、為小五月若宮ヘ参シテ舞之、去五月六日今五村参畢、此事夢想之状ヲ二鳥居ニ置故也」とみえ、鎌倉時代にはすでに郷組織の芽生えがあり、郷民が春日若宮へ参っている。これを初めとして奈良のおもな郷による小五月会が行われるようになった(→小五月郷

町東部の四つ辻西南隅に薬師堂があり、ここが集会所になっていたが、「大乗院雑事記」康正三年(一四五七)四月二八日条に、

<資料は省略されています>

とあり、東は興福寺大乗院知行で、西の御霊前町付近は一乗院知行であったらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報