蒲原駅(読み)かんばらのえき

日本歴史地名大系 「蒲原駅」の解説

蒲原駅
かんばらのえき

「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条および高山寺本「和名抄」駅名部にみえる古代東海道の駅。延喜式制では一〇疋の駅馬が配備されている。初見は「三代実録」貞観六年(八六四)一二月一〇日条。同条では年来の疫病干害により駿河郡の課丁数が減少し、同郡内にある横走よこはしり永倉ながくら柏原かしわはら三駅分の駅子四〇〇人を提供できなくなってしまったため、柏原駅を廃止し、駅間距離の調整のため「富士郡蒲原駅」を「富士河東野」に遷立したとある。文脈からは貞観六年以前の蒲原駅が富士川西岸に存在したと考えられるが、富士川西岸は廬原郡にあたる。このため同年以前の位置を富士川西岸(廬原郡)とするか東岸(富士郡)とするか見解が分れている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報