菱野村(読み)ひしのむら

日本歴史地名大系 「菱野村」の解説

菱野村
ひしのむら

[現在地名]瀬戸市水無瀬みなせ町・菱野台ひしのだい・菱野町・福元ふくもと町・瀬戸口せとぐち町・幡山はたやま町・東菱野ひがしひしの町・西米泉にしこめずみ町・東米泉ひがしこめずみ町・原山はらやま町・原山台はらやまだい新郷しんごう町・幡野はたの町・みどり町・赤重あかしげ町・新田しんでん町・弁天べんてん町・台六だいろく町・幡中はたなか町・みなみおか町・南菱野みなみひしの町・羽根はね町・西脇にしわき町・幡西はたにし

本地ほんじ村の東にある。村の南北には丘陵が迫り、中心部を山口やまぐち川が東から西へ流れる。現在北部丘陵地帯には、菱野団地が造成され、原山台・菱野台・萩山台・八幡台の四区からなり、約一万戸の住宅がある。

菱野村
ひしのむら

[現在地名]小諸市菱野

小諸城下の北方、標高九〇〇メートル前後の地に立地。浅間山(二五四二メートル)の外輪山黒斑くろふ(二四一四メートル)高峰たかみね(二一〇五メートル)の鞍部車坂くるまざか(一九七三メートル)に通じる。

和名抄」に載る「大村郷」の境域に属し、また「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条の信濃国の国内の「乃貢未済庄々注文」の中に左馬寮領として菱野があり、付近には後平うしろだいら地籍に馬瀬口ませぐち飼馬けいばんなどの地名を残すところから、左馬寮領に属する牧の所在地であったと考えられている。

菱野村
ひしのむら

[現在地名]朝倉町菱野

古毛こも村の北東、筑後川中流右岸で台地(扇状)上に位置する。西側を妙見みようけん川・川が流れている。「続風土記」によると村内に窪畠くぼはた村があった。小早川時代の指出前之帳では菱野村の田一〇町七反余(分米一三六石余)・畠一四町四反余(分大豆六九石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高六一五石余、うち大豆二四七石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には高六三〇石余・反別四八町九反余、家数五六・寺一・社二、人数三二〇(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高も同じ。寛政期(一七八九―一八〇一)の家数七〇・人数三七七、牛五・馬三三(別本「続風土記附録」)。寛政元年南端を流れるほり川に三連水車(県指定有形民俗文化財)が完成した(朝倉町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android