菊池隆直(読み)きくち・たかなお

朝日日本歴史人物事典 「菊池隆直」の解説

菊池隆直

生年生没年不詳
平安時代最末期の肥後武将系図によると菊池氏惣領第6代,12世紀後半肥後一国に武威を振るい,菊池権守と呼ばれる。治承4(1180)年秋,平家の九州支配に抗して,阿蘇惟安,木原盛実ら肥後の勢力を糾合して挙兵,一時は大宰府を攻めたが,養和2(1182)年春追討使平貞能に降伏,以後平家方の武将として京都にのぼり,さらに同年8月大宰府に下った安徳天皇に供奉した。その後の動静は明らかでなく,同年10月の緒方惟義らの大宰府攻撃に際し,肥後に帰ったとも,平家と運命を共にし,捕らえられ京都五条河原で斬首されたともいわれる。<参考文献>工藤敬一『荘園公領制成立内乱

(工藤敬一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊池隆直」の解説

菊池隆直 きくち-たかなお

?-? 平安時代後期の武将。
肥後(熊本県)菊池氏惣領6代。菊池郡本拠とし,菊池権守(ごんのかみ)とよばれる。治承(じしょう)4年(1180)反平家の軍をおこして大宰府(だざいふ)を攻めるが,養和2年降伏し,平家方につく。寿永2年大宰府におちのびた安徳天皇に同行したが,その後は不明。通称次郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の菊池隆直の言及

【肥後国】より

…そして西国を基盤とし,日宋貿易に多大の関心をもつ平家の九州支配は,大宰府および国衙機構の掌握と院領荘園への介入によってすすめられた。それは菊池氏など肥後武士団の発展を大きく制約し,1180年(治承4)菊池隆直は,阿蘇大宮司惟安,木原盛実らと反平家の兵をあげ,一時は大宰府まで攻め上った。〈菊池権守〉と称した隆直の勢力は一国棟梁的存在であった。…

※「菊池隆直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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