菊池(市)(読み)きくち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「菊池(市)」の意味・わかりやすい解説

菊池(市)
きくち

熊本県北部にある市。1958年(昭和33)市制施行。市名は、鎮西(ちんぜい)の豪族菊池氏の拠点となった地域の古称、久々知(くくち)にちなむ。2005年(平成17)菊池郡旭志村(きょくしむら)、泗水町(しすいまち)、七城町(しちじょうまち)を合併。北東半を占める更新世(洪積世)前期火山岩からなる津江(つえ)山地、北西半の中生代花崗(かこう)岩類からなる筑肥(ちくひ)山地、南東部の鮮新世火山岩からなる阿蘇(あそ)外輪山地、南部の更新世末期火山噴出物からなる迫間(はざま)丘陵、さらに南西部の沖積層、段丘礫(れき)層からなる菊鹿(きくか)盆地肥後台地などからなる。菊池米で知られた米、畜産養蚕に、製糸業、酒造業を加えたものが伝統的な主導産業であったが、昭和30年代後半にタバコ、野菜、昭和40年代前半にプリンスメロン、スイカが導入され、近年では果菜類栽培が農業の中核になりつつある。また、繊維製品、電子部品などの中小工場の進出も、昭和40年代中ごろから目だち始めた。

 中世末期には肥後の一大拠点であった市の中心隈府(わいふ)は、細川氏の肥後入国後は周縁地域の需要を満たす在町(ざいまち)にすぎなくなった。それだけに、1954年(昭和29)に掘り当てられた菊池温泉は、菊池氏一族にかかわる旧跡菊池神社)や、原生林に覆われた菊池渓谷とともに、観光産業の側面から市の再興に寄与しており、南西の合志(ごうし)市御代志(みよし)から熊本市街地に直接乗り入れている熊本電気鉄道も観光路線としての性格を帯びつつある。熊本市北郊から同鉄道に併走する国道387号は、同325号と隈府で交差しており、東部を走る菊池阿蘇スカイラインとともに物流や観光に大きな役割を果たしている。

 遺跡分布から、銅鐸(どうたく)をもつ近畿文化と、銅剣銅鉾(どうほこ)をもつ北九州文化とが重なり合った肥後でも特異な古代文化の根拠地として位置づけられており、石人で知られるフタツカ古墳、装飾壁画で有名な袈裟尾高塚古墳(けさおたかつかこふん)はこの代表的なものである。面積276.85平方キロメートル、人口4万6416(2020)。

[山口守人]

『『菊池文化物語』(1964・菊池文化顕彰会)』


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