菅名庄(読み)すがなのしよう

日本歴史地名大系 「菅名庄」の解説

菅名庄
すがなのしよう

菅名岳山麓の盆地にある現村松むらまつ町および五泉市の大部分を含む庄園。「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条に載る乃貢未済庄々注文に「六条院領預所隠岐判官代惟繁菅名庄」とある。六条院は承保二年(一〇七五)白河上皇が造営して皇女郁芳門院子内親王の御所に充てたもので、永長元年(一〇九六)の郁芳門院没後は持仏堂となり諸国の庄園が寄進された。預所としてみえる惟繁は「保元物語」(官軍方々手分けの事)に「隠岐判官惟繁」と出ているが、「兵範記」保元元年(一一五六)七月五日条には「右衛門尉惟繁」とあるので、当時は右衛門尉でのちに隠岐判官代となったのであろう。余吾将軍平維茂四代の孫隠岐守繁賢の子という。越後北方の諸庄園は維茂の流れをくむ城氏によって開発されたものが多いので、当庄の成立にも維茂流の平氏が関与していたのではないかと推察される。現五泉市大蔵おおくらの稲荷社、同市柄沢からさわの稲荷社なども、城氏家臣による創立という伝承をのこしている(「神社明細帳」新潟県史編さん室蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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