荒見神社(読み)あらみじんじや

日本歴史地名大系 「荒見神社」の解説

荒見神社
あらみじんじや

[現在地名]城陽市字富野 荒見田

富野との集落の北方字荒見田あらみた鎮座する。祭神天火明櫛玉饒速日あめのほあかりくしたまにぎはやひ尊・天香語山あまのかぐやま尊・天村雲あまのむらくも尊・阿比良依姫あひらよりひめ尊・木花開耶姫このはなさくやひめ尊。社伝によれば、大化三年(六四七)在地の土豪三富野部連金建が、長池ながいけの東方五社ごしやたに創建。阿良美五社明神と称したという。「延喜式」神名帳の久世くせ郡に記される「荒見神社」を当社とする説が強いが、明治期の式内社治定の折には、京都府久御山町田井たいの荒見神社がそれとされた(明治一六年久世郡神社明細帳)

荒見神社
あらみじんじや

[現在地名]久御山町田井

田井たい集落の東部に鎮座。祭神は武甕槌たけみかづち命・別雷わけいかずち大神倉稲魂うかのみたま命・仲哀天皇・応神天皇。旧村社。「延喜式」神名帳に載る久世くせ郡荒見神社に比定する説があるが、旧久世郡の城陽市富野荒見田とのあらみたにも荒見神社があり、いずれが式内社であるか決しがたい。しかし明治一六年(一八八三)の久世郡神社明細帳によれば、明治六年に当社は式内社と治定されている。なお古代村落と式内社の分布からみて富野の荒見神社を式内社に比定する説も強い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報