茶屋四郎次郎
ちゃやしろうじろう
安土(あづち)桃山~江戸時代の京都の豪商。幕府呉服(ごふく)師。本姓中嶋(なかじま)。出身地は山城(やましろ)との説もあるが、三河(みかわ)説が有力。代々四郎次郎と称す。初代清延(きよのぶ)(1545―96)は三河時代の徳川氏の御用商人として活躍し、本能寺の変に際し、その報を畿内(きない)にきていた家康に伝えたことで知られる。2代清忠(きよただ)(1582―1603)は京の総町頭役となるが、嗣子(しし)なく早世した。3代清次(きよつぐ)(1584―1622)は又四郎といい清延の次男、家を継ぎ1614年(慶長19)襲名。長崎奉行(ぶぎょう)長谷川(はせがわ)藤広に従って長崎に下り、御用糸支配など貿易に携わり、キリシタン禁圧にも働いた。1612年から朱印船を交趾(こうち)(現在の中部ベトナム)に派遣し、4代道澄(みちすみ)、5代延宗(のぶむね)の代まで続けた。清次は大坂の陣の際、家康側近として京に戻り、京、大坂、奈良、堺(さかい)、伏見(ふしみ)の町人、および過書船(かしょぶね)の御用商人の支配を命ぜられた。なお清延の三男新四郎、四男小四郎はそれぞれ尾張(おわり)家、紀伊家の呉服師を勤めた。
[脇田 修]
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茶屋四郎次郎
ちゃやしろじろう
江戸時代の京都の豪商,茶屋家歴代の通称。茶屋家は徳川将軍家の呉服師で,安南貿易と糸割符 (いとわっぷ) 貿易により巨富をたくわえ,代々四郎次郎を屋号として使用した。初代清延 (1545~96) は家康の近習として仕えるかたわら安南貿易に従事し,2代清忠 (?~1603) も家康に近侍,3代清次 (?~22) は糸割符の特権を得て,幕府の外交貿易政策の遂行に大きな役割を果し,4代道澄,5代延宗は安南やコーチシナとの間に朱印船貿易を行なったが,寛永 12 (1635) 年異国渡海の禁で中止のやむなきにいたった。以後,白糸販売に専念するが,次第にふるわなくなった。
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「茶屋四郎次郎」の意味・わかりやすい解説
茶屋四郎次郎【ちゃやしろうじろう】
江戸時代の京都の豪商。幕府,御三家の御用呉服商で,朱印船貿易に従事。姓は中島,代々四郎次郎を称す。初代清延(きよのぶ)〔1542-1596〕,2代清忠〔1583-1603〕,3代清次〔1584-1622〕。清延は徳川家康の伊賀越えに協力したことで知られる。清忠は家康に京都所司代の設置を進言し,京,大坂,堺,伏見,奈良の上方五ヶ所の町人を支配した。清次は糸割符(いとわっぷ)の特権を得て長崎奉行を助けて,貿易管理とキリシタン取締りに努めた。4代目以降も公儀呉服師として特権町人であった。
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茶屋四郎次郎
ちゃやしろじろう
江戸時代の京都の豪商で,茶屋家歴代の通称
朱印船貿易家・糸割符 (いとわつぷ) 商人・徳川将軍家の呉服師として活躍。初代清延(1542〜96)はアンナン貿易に活躍。2代清忠は徳川家康に近侍。3代清次は糸割符貿易とともに幕府成立期の財政に寄与。茶屋は角倉 (すみのくら) ・後藤とともに三大長者と称されたが,鎖国後衰退した。
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ちゃや‐しろうじろう ‥シラウジラウ【茶屋四郎次郎】
安土桃山・江戸時代の京都の豪商。公儀呉服師。代々四郎次郎を名乗った。初代清延は安南貿易に従事。二代清忠は家康の側近。三代清次、四代道澄、五代延宗と糸割符の特権を得、また鎖国まで海外貿易に活躍、幕府成立期の財政にも寄与した。
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デジタル大辞泉
「茶屋四郎次郎」の意味・読み・例文・類語
ちゃや‐しろうじろう〔‐シラウジラウ〕【茶屋四郎次郎】
安土桃山・江戸時代の京都の豪商。四郎次郎は歴代の通称。初代清延・2代清忠・3代清次・4代道澄・5代延宗と、徳川家の呉服師、朱印船貿易商、糸割符商として巨利を得た。
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ちゃやしろうじろう【茶屋四郎次郎】
1542‐96(天文11‐慶長1)
徳川家康の側近御用達。京都の豪商。先祖は山城国とも三河国出身ともいわれ,つまびらかでない。姓は中島を称し,初代は清延,法名を情延といった。茶屋は三河の大名徳川氏の御用達として家康の側近に仕え,上方筋の情報を家康に提供し,軍需品の調達や,京都における家康の旅宿をつとめた。家康の戦争にはつねに出陣して側近で活躍し,ときには間者(かんじや)や講和の内使などをつとめた。1588年(天正16)ごろ家康の江州代官として年貢の徴収にあたったが,のち辞退し,家康の呉服御用達として仕え,その子孫は代々呉服師を継承した。
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世界大百科事典内の茶屋四郎次郎の言及
【呉服師】より
…将軍の側近にあって身辺の御用を務めていた関係から,私的にきわめて親近な関係にあり,利権にありつくことも多かった。1603年(慶長8)の幕府の成立時には,後藤縫殿助,茶屋四郎次郎,亀屋栄任らが徳川家康の側近として重宝がられていたが,慶長末より元和年間にかけて尾州茶屋新四郎,上柳,三島屋の3軒が追加され,呉服師6軒仲間が成立した。その中心は後藤,茶屋で,各200石の禄高と役宅が与えられていた。…
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