英比郷(読み)あぐいごう

日本歴史地名大系 「英比郷」の解説

英比郷
あぐいごう

旧知多郡の国衙領。南北朝期以降南北に分れ、南方は熱田社領、北方は国衙領、一部は榎山寺領となる。「和名抄」の英比郷の系譜をひくか。現阿久比町を中心とし、半田市の北部乙川おつかわをも含む地域と推定される。

当郷に関する初見は、年月日未詳ながら文永―弘安(一二六四―八八)頃と推定される源胤雅申状(蓬左文庫蔵「斉民要術」紙背文書)である。これは郷内乙河おつかわ村地頭職をめぐる相論文書で、当郷地頭職は賀貫三条局の知行するところであったが、惣領は貞応三年(一二二四)の頃養子民部卿法印能親に、乙河村は寛喜二年(一二三〇)の頃胤雅の祖父下野前司入道雅宝に分譲され、各々別知行されてきた。惣領能親は雅宝に対し種々の悪行を繰返したが、延応元年(一二三九)和与が成立し、以後二〇ヵ年を経て、能親方は雅宝没後父雅継よりの代替りを機に再度濫訴を起こしたものと胤雅は訴えている。

一方、英比郷小河おがわ村地頭職に関する文永二年一二月七日付および弘安七年一〇月一日付の二通の鎌倉幕府将軍家政所下文写(乾坤院蔵)がある。

英比郷
あぐいごう

「和名抄」高山寺本・東急本・元和古活字本のいずれも訓を欠く。郷名の初出は木簡にみえるもので、藤原宮出土木簡に「甲午年九月十二日□□国 」「阿具(比カ)里五□□(百木カ)部□□□(養カ)□□(六斗カ)」と記されるものである。これは国名が欠損しているが、阿具比里は当郷にあたるものと考えられる。甲午年は持統天皇八年で、飛鳥浄御原令制下であり、里名の表記となっている。国名の下の欠損部には「知多評」とあったものか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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