長唄の唄方。伊十郎名義は元来,芳村派の家元名芳村伊三郎の控え名として用いられてきたが,3世と7世は伊三郎を襲名していない。伊十郎は現在まで8世を数えるが,6世と7世が著名。(1)初世(1735-1820・享保20-文政3) 2世芳村伊三郎の前名。前身は建具職人といわれる。初世伊三郎の門弟で,1794年(寛政6)伊十郎から2世伊三郎を襲名した。優れた門弟に恵まれ,芳村派繁栄の基礎をつくる。(2)2世(1754-1833・宝暦4-天保4) 本名中村屋平蔵。前身は鍛冶職といわれる。初名初世伊四郎。1808年(文化5)2世伊十郎を襲名,2世坂田仙四郎を経て,24年(文政7)3世伊三郎を襲名。(3)3世(1799-1854・寛政11-安政1) 2世吉住小三郎の前名。(4)4世(1832-82・天保3-明治15) 本名石川清之丞。2世吉住小三郎の門弟,のち4世伊三郎の養子となる。前名は伊千三郎。1856年(安政3)4世伊十郎を,59年5世伊三郎を襲名する。明治初期を代表する唄方として2世松島庄五郎と並び称せられた。(5)5世(1823-1902・文政6-明治35) 本名中村万吉。3世芳村伊四郎の養子。前名4世伊四郎。1860年(万延1)5世伊十郎を,93年6世伊三郎を襲名。(6)6世(1858-1935・安政5-昭和10) 本名鵜沢徳蔵。初め5世富士田千蔵に師事,のち5世伊十郎の門弟となる。前名5世伊四郎。1893年に6世伊十郎を襲名。以後,名声を高め長唄界の第一人者となる。1922年8世伊三郎の名を贈られたが,〈8世芳村伊三郎事芳村伊十郎〉と名のり,伊十郎の名前で芳村の家元を相続した。芸風は豪快で,大薩摩物を得意とした。(7)7世(1901-73・明治34-昭和48) 本名太田重次郎。6世伊十郎の門弟の7世伊四郎の養子。6世伊十郎の妻杵屋六葉満(きねやろくはま)に師事,のち3世杵屋栄蔵(9世芳村伊三郎の名前を兼ねる)の指導をうける。前名9世伊四郎。1950年7世を襲名。劇場長唄,演奏会長唄ともに唄方の第一人者として,一堂を圧する芸を聞かせた。声量豊かな美声家で《勧進帳》《二人椀久》などを得意とした。56年重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)に認定された。
執筆者:植田 隆之助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
長唄(ながうた)唄方。芳村家の家元名は伊三郎であり、伊十郎は5世までは伊三郎の控え名として使われていた。現在まで8世を数えるが、6世と7世が著名。初世(1735―1820)は初世伊三郎の門弟で、2世芳村伊三郎の前名。2世(1754?―1833)は初世伊十郎の門弟、3世伊三郎の前名。3世(1799―1854)は2世伊十郎の門弟で、後の2世吉住小三郎が名のった。4世(1832―82)は4世伊三郎の養子で、5世伊三郎の前名。この人は明治初期の代表的唄方の一人であった。5世(1823―1902)は3世芳村伊四郎の養子で、6世伊三郎になった人の前名。
[渡辺尚子]
(1858―1935)5世伊十郎の門弟。前名は5世伊四郎。1893年(明治26)6世を襲名する。1922年(大正11)に8世伊三郎の名跡を贈られたが、伊十郎のままで通した。豪快な芸風で、とくに大薩摩(おおざつま)物を得意とし、長唄界の第一人者となった。
[渡辺尚子]
(1901―73)7世伊四郎の門弟、のち養子となる。前名は9世伊四郎。1950年(昭和25)7世を襲名。声量豊かな美声家で、『勧進帳(かんじんちょう)』『二人椀久(ににんわんきゅう)』などを得意とし、第二次世界大戦後の長唄界の第一人者であった。長唄協会理事長、同会長を勤める。重要無形文化財保持者。
[渡辺尚子]
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