勧進帳(読み)かんじんちょう

精選版 日本国語大辞典 「勧進帳」の意味・読み・例文・類語

かんじん‐ちょう クヮンジンチャウ【勧進帳】

[1] 〘名〙 勧進②のために金品を募る旨の内容を記して、僧徒が人々に読みきかせる巻物。勧化帳(かんげちょう)。勧進状。
※平家(13C前)五「勧進帳をささげて、十方檀那をすすめありきける程に」
[2] 歌舞伎十八番の一つ。時代物。一幕。三世並木五瓶作。四世杵屋六三郎作曲。天保一一年(一八四〇)、江戸河原崎座で七世市川団十郎が初演。謡曲「安宅」に講談で評判だった山伏問答を織り込んだもの。源義経主従が山伏姿で奥州に落ちて行く途中、安宅関に至り、弁慶は勧進帳を読みあげ、さらに、疑いをはらすために主を打ちすえ、無事通過する。長唄の曲目としても行なわれる。

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デジタル大辞泉 「勧進帳」の意味・読み・例文・類語

かんじんちょう【勧進帳】[作品名]

歌舞伎十八番の一。一幕。3世並木五瓶なみきごへい作。4世杵屋きねや六三郎作曲。天保11年(1840)江戸河原崎座で7世市川団十郎弁慶で初演。能の「安宅あたか」を、長唄を地として歌舞伎化したもの。富樫左衛門の守る加賀国安宅の関を、東大寺勧進山伏に身をやつした源義経主従が弁慶の知略で通過する。

かんじん‐ちょう〔クワンジンチヤウ〕【勧進帳】

勧進2の趣意を書いて、寄付を集めるのに使う帳面。
文書を読み上げるようなふりをして、実際には書いていないことを述べること。歌舞伎「勧進帳」で、弁慶が白紙の巻物を1に見立てて読み上げる場面から。
[補説]作品名別項。→勧進帳

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改訂新版 世界大百科事典 「勧進帳」の意味・わかりやすい解説

勧進帳 (かんじんちょう)

(1)平曲の曲名。伝授物。読物(よみもの)13曲の一つ。文覚上人(もんがくしようにん)は,当時荒廃していた高雄の神護寺の修理を志し,寄進を勧めるために勧進帳を作って諸方を説いて回った。院の御所に参ったときは管絃の最中だったが,かまわず庭に入り込んで,〈それおもんみれば真如広大なり……〉という長文の勧進帳を大声で読み上げた。読物は普通の曲にない特殊な曲節に作曲されているが,現在は伝承が絶えている。(2)能《安宅(あたか)》の部分の名。関守の疑いを解くため,弁慶(シテ)が即席に案文しながら偽りの勧進帳を読み上げる部分。読物という特殊な形式の曲節で,この部分を独立させて独吟として謡ったり,小鼓または大鼓1人と謡1人が共演する一調という形式で演じたりする。(3)能《安宅》の観世流小書(こがき)(変型演出の名)。勧進帳は,各流とも山伏一同が弁慶と唱和するのを本来の形とするが,今日では弁慶ひとりで謡うのが普通となった。ただ観世流では,そのことを明示する意味で番組に〈勧進帳〉と記し,この小書がないときは一同の連吟というきまりにしてある。
執筆者:(4)歌舞伎狂言。時代物。1幕。歌舞伎十八番の一つ。3世並木五瓶作,4世杵屋(きねや)六三郎作曲,4世西川扇蔵振付。1840年(天保11)3月江戸河原崎座初演。弁慶を5世市川海老蔵(7世団十郎),富樫を2世市川九蔵(後の6世団蔵),義経を8世団十郎。能の《安宅》を基に創作。兄頼朝と不和になった源義経が,京から奥州へ落ちる途中,加賀国(石川県)の安宅の関所を通過する時の一件を脚色。家来5人は山伏姿,義経は強力(ごうりき)(荷物持ち)になって安宅へ来る。山伏は通さないといわれ,覚悟を決め最後の祈りをしていると,奈良東大寺建立のために諸国を回るのであれば,その勧進帳を読めと,関守の富樫が迫る。弁慶は白紙の巻物を勧進帳とみせかけて読み上げる。山伏の心構え,扮装の質問にも的確に答えたので通過を許されるが,強力が義経に似ているとて止められる。とっさに弁慶は主である義経を打擲する。弁慶の苦衷を察した富樫はこれを許す。後で弁慶は義経に非道をわび,義経はその機転をほめる。富樫の持たせた酒を飲みほした弁慶は,延年の舞を舞い,その間に5人を出発させ,やおら後を追う。《義経記》や能などに文芸化された〈安宅の関〉の題材は,歌舞伎や人形浄瑠璃でも多く脚色されており,初世市川団十郎も1702年(元禄15)2月に《星合十二段》の中でこの場面を演じている。7世団十郎が十八番の一つに選定するに当たっては,背景を能舞台に模して松羽目にし,衣装も能装束を使うなど,能の演出法を摂取。明治時代になり,9世団十郎の高尚趣味とも合致し,十八番の代表曲となった。前半の勧進帳を読み上げた後,弁慶と富樫の山伏問答,後半になり非礼をわびる弁慶と義経主従の心情,延年の舞から花道における〈飛び六方〉の引込みなどが見せ場で,観客をあきさせない。伴奏曲の長唄は三味線音楽中の代表的名曲といえ,独立して演奏もされる。柄と口跡と踊りの素養が必要な弁慶は,座頭(ざがしら)の役として大事にされている。
執筆者:

勧進帳 (かんじんちょう)

社寺,仏像,鐘や橋梁などの造営・修復のために資財を募ることを記した趣意書。勧化(かんげ)帳ともいう。一般に造営・修復の発願趣旨を述べ,誦経・念仏の功徳,あるいは造寺,造像,造塔,写経,架橋などの作善(さぜん)に参加すれば現世利益や自他の浄土往生が達成されると説き,金品寄進を呼びかける内容となっている。勧進聖(ひじり)はこれを衆庶に読み聞かせたり,閲覧させたり,頒布して一紙半銭の喜捨を求めた。重源(ちようげん)が1181年(養和1)に始めた東大寺大仏殿再建のための勧進文は著名。彼はこの勧進文を一輪車の右に貼り,左には後白河法皇の〈一粒半銭といへども,寸鉄尺木といへども,これを施す者は,世々生々在々所々,必ず妙力に依りて,長く景福を保つ云々〉という詔書を貼り,諸国を歴訪した。勧進帳とは別に,結縁(けちえん)者の名前のみを記した交名帳,寄進者の名前,金品名,数量などを記した奉加帳(寄進帳・祠堂帳)もあり,仏像胎内から発見された例(滋賀県甲賀市の旧信楽町玉桂寺)もある。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「勧進帳」の意味・わかりやすい解説

勧進帳
かんじんちょう

歌舞伎(かぶき)脚本。時代物。1幕。3世並木五瓶(ごへい)作。1840年(天保11)3月、江戸・河原崎座(かわらさきざ)で7世市川団十郎(当時は海老蔵(えびぞう)と改名)の弁慶、2世市川九蔵(くぞう)(後の6世団蔵)の富樫(とがし)、8世団十郎の義経(よしつね)により初演。長唄(ながうた)の作曲は4世杵屋六三郎(きねやろくさぶろう)(後の六翁)、振付けは4世西川扇蔵(せんぞう)。7世団十郎が市川家の家の芸「歌舞伎十八番」制定にあたって、その一つとして初世の演じた題材を借り、能の『安宅(あたか)』の詞章をもとに、能の舞台と演出を写し、長唄を地にした新形式の演劇を創造したもの。いわゆる「松羽目物(まつばめもの)」の先駆である。

 富樫左衛門の守る加賀国安宅ノ関を、東大寺勧進の山伏に身をやつした源義経主従が武蔵坊(むさしぼう)弁慶の知略で通過する物語。弁慶が白紙の巻物を勧進帳と称して読み上げ、番卒に見とがめられた義経を金剛杖(こんごうづえ)で打擲(ちょうちゃく)した機転によって虎口(ここう)を脱する。大筋は『安宅』とまったく同じだが、山伏の故実に関する富樫の質問を弁慶が鮮やかに切り抜ける「山伏問答」を講釈から取り入れ、計略のため主君を打ち据える弁慶の苦衷を富樫が察し、情けによって通してやるという構成にしたのが作劇上の特色。能の簡素で典雅な様式に歌舞伎の長所を注入した7世団十郎の意図を、明治期に9世団十郎が改良洗練し、1891年(明治24)の天覧劇でも上演、その後は7世松本幸四郎が生涯に1600回も演じたことで屈指の人気演目になった。内容が判官(ほうがん)びいきの大衆感情をとらえ、総体に健康的でダイナミックな感覚が現代人の好みにあっている。長唄が名曲で、演出も勧進帳読み上げから、山伏問答、富樫の呼び止めで双方詰め寄るあたりの迫力、危機を逃れた主従が感慨にふけるところの哀感、富樫に贈られた酒で快く酔った弁慶の延年の舞、最後に幕外を引っ込む弁慶の飛六方(とびろっぽう)まで、見どころは多い。

[松井俊諭]

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百科事典マイペディア 「勧進帳」の意味・わかりやすい解説

勧進帳【かんじんちょう】

(1)歌舞伎劇。3世並木五瓶(ごへい)作。1840年初演。7世市川團十郎が能形式の新舞踊劇を創作する意図で,長唄を伴奏として能の《安宅(あたか)》を歌舞伎化。歌舞伎十八番の一つ。追われる身の源義経が,家来の弁慶らとともに東大寺勧進の山伏と称し,安宅関を通過する苦心談を描く。松羽目(まつばめ)物の第1作で,歌舞伎劇中有数の人気作品。(2)長唄の曲名。4世杵屋六三郎作曲。3世並木五瓶作詞。1840年初演。(1)の伴奏音楽として,せりふの間などに演奏されるものをつづり合わせたもの。音楽は一貫しないが,変化のある作曲や,当時としての新機軸が喜ばれ,人気曲となっている。
→関連項目安宅関判官物松本幸四郎六方

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勧進帳」の意味・わかりやすい解説

勧進帳
かんじんちょう

(1) 寺社,堂塔の建立,修理のため寄付金をあおぐ趣旨を記した文書。 (2) 能の曲の部分名。観世小次郎信光作『安宅』で,シテ弁慶が安宅の関所でにせの勧進帳を読み上げる部分。通常シテの独吟でうたわれ,「正尊」の起請文,「木縄」の願書とともに三読物といわれる。 (3) 歌舞伎十八番の一つ。天保 11 (1840) 年3月,江戸河原崎座で初演。作詞3世並木五瓶,長唄作曲4世杵屋六三郎 (六翁) ,振付4世西川扇蔵。初演配役弁慶-市川海老蔵 (7世市川団十郎) ,義経-8世市川団十郎,富樫-3世市川九蔵 (6世団蔵) 。能『安宅』を骨子に,「山伏問答」「折檻」「延年の舞」など舞踊的,音楽的に傑出した作品。ただし7世団十郎が弁慶を家の芸の荒事風に演じたものを9世が高雅に演出し,洗練させた。9世は生涯に弁慶を 19回演じ,1891年4月井上侯爵邸において天覧に供した。その後の弁慶役者では,7世松本幸四郎が著名。長唄としては,大薩摩,一中節,説経節などの曲節が巧みに消化された名曲で,素 (す) の演奏だけを行うことも多く,その場合は3世杵屋正次郎作曲による「滝流し」などの特別な器楽的間奏部がつけられる。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「勧進帳」の解説

勧進帳
かんじんちょう

歌舞伎狂言。3世並木五瓶(ごへい)作,4世杵屋六三郎作曲。1840年(天保11)3月江戸河原崎座初演。兄源頼朝と不和になり都をのがれた義経一行は,奥州へ落ちる途中,安宅(あたか)関で関守富樫(とがし)に止められる。弁慶は白紙の巻物を東大寺の勧進帳といって読みあげ通行を許されるが,あとに従っていた義経をみとがめられる。弁慶が義経を杖で打つのをみた富樫は,心を打たれて一行を通す。7世市川団十郎が歌舞伎十八番の一つとして本曲を初演した。原作は能「安宅」で,能舞台を模した大道具・衣装をはじめてとりいれた点でも画期的な曲。9世団十郎が演出を洗練させた。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「勧進帳」の解説

勧進帳
〔長唄〕
かんじんちょう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
並木五瓶(3代)
演者
杵屋六三郎(4代)
初演
天保11.3(江戸・河原崎座(初代市川団十郎百九十年の寿興行))

勧進帳
(通称)
かんじんちょう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
御摂勧進帳 など
初演
安永2.11(江戸・中村座)

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「勧進帳」の解説

かんじんちょう【勧進帳】

石川の日本酒。酒名は、歌舞伎演目「勧進帳」に由来。原料米に山田錦を使った純米大吟醸酒と、五百万石を使った純米吟醸酒がある。仕込み水は白山の伏流水。蔵元の「山本酒造本店」は明治元年(1868)創業。所在地は能美市末寺町。

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世界大百科事典(旧版)内の勧進帳の言及

【梵鐘】より

… 梵鐘の功徳を伝える説話は日本にも多いが,鎌倉時代以後,ほとんどの鐘の鋳造は勧進(かんじん)によってなされた。仏像や堂宇の勧進と同様,その趣意書を〈勧進帳〉といい,鋳鐘の功徳を吹聴(ふいちよう)して個人や村ごとの奉加喜捨を仰いだ。しかし室町時代以降,流浪する売僧が鐘勧進を称し,遠国の寺号を名乗って鋳造もしない鐘への勧進を求めることがしばしば行われている。…

【長唄】より

…歌舞伎や長唄を愛好する大名,旗本,豪商,文人らがその邸宅や料亭に長唄演奏家を招いて鑑賞することが流行し,なかには作詞を試みる者も現れ,作曲者たちの作曲意欲と相まって,《翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)》《秋色種(あきのいろくさ)》《鶴亀》《紀州道成寺》《四季の山姥(しきのやまんば)》《土蜘(つちぐも)》など鑑賞用長唄の傑作が生まれた。一方,前代に全盛をきわめた変化物舞踊もようやく行詰りをみせはじめ,さらに幕藩体制の崩壊,長唄愛好者の大名,旗本の高尚趣味の影響もあって,長唄にも復古的な傾向が現れ,謡曲を直接にとり入れた曲が作曲されるようになり,前述の《鶴亀》や《勧進帳》《竹生島》などが生まれた。この時期の唄方には天保の三名人といわれる3世芳村伊十郎,岡安喜代八,2世富士田音蔵,三味線方に10代目杵屋六左衛門,4世杵屋六三郎,5世杵屋三郎助(のち11代目杵屋六左衛門,3世勘五郎),2世杵屋勝三郎,囃子方に4世望月太左衛門,6世田中伝左衛門などがいる。…

【幕】より

…たとえば,能の《船弁慶》における後ジテ知盛の亡霊の出には,まず半幕(半分ほどの高さまで巻きあげる)にしてその姿をみせ,〈あら珍しやいかに義経〉と子方を見てからそこでいったん幕をおろし,ふたたび幕の全体をあげて早笛(はやふえ)の囃子(はやし)に乗って一気に走り出る,という演出がしばしば行われる。また歌舞伎には,《勧進帳》の弁慶の飛六方(とびろつぽう)でよく知られるように,いったん,引幕を引いたのち,これをくぐって役者が出て,ふたたび花道から揚幕へ入るという,〈幕外(まくそと)〉の演出があり,これは視覚的には,効果的な一種のクローズ・アップの手法ともいえるが,六方という特異な動作と合わせて考えるとき,それはむしろ,幕を出て幕に入るという〈神話的〉な身ぶりであるといえる。助六の河東節(かとうぶし)に乗ったあの独特な出端(では)にしても,幕を背にして演ずる芸として,同様な視点からとらえることが可能であろう。…

【松羽目物】より

…7世市川団十郎は能の様式にあこがれ,その演出を積極的にとり入れようとした。その具体的なあらわれが《勧進帳》である。松羽目の舞台を用いたのはこのときが最初であり,この作品が後の〈松羽目物〉の原点となった。…

【読物】より

…書状その他の長い文書を読み上げる部分を重点とした曲。木曾義仲の命で大夫房覚明が八幡社へ願書を捧げる《願書》(《木曾願書》とも),文覚(もんがく)が神護寺復興の寄進勧誘状を読み上げる《勧進帳》,源義経が鎌倉入りを拒まれて釈明文を書く《腰越(こしごえ)》など13曲ある。読物は,〈チラシ〉〈下音〉〈上音〉〈ハコビ〉など,一般の平曲とは著しく異なる曲節の小段を含む伝授物だが,伝承が絶えたためにその詳細はわからない。…

【六合新三郎(六郷新三郎)】より

…44年(弘化1)ころまで劇場に出勤。《勧進帳》の作調者である。(5)5世(1815‐87∥文化12‐明治20) 4世の長男。…

※「勧進帳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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