花畑館跡(読み)はなばたやかたあと

日本歴史地名大系 「花畑館跡」の解説

花畑館跡
はなばたやかたあと

[現在地名]熊本市花畑町

熊本城本丸の南に坪井つぼい川を隔ててあった熊本藩主の居館跡。花畑館は加藤清正によって基本的形態が整えられ、細川氏の時代を経て明治四年(一八七一)明治政府に献上するまで藩主の居住地で、江戸時代は「御花畠」と称している。建物普請は、慶長一一年(一六〇六)と推定される七月二二日の加藤清正黒印状写(下川文書)に「一、花畠作事、留守中番等無油断之由尤候」とあり、この頃から着手されたのであろう。加藤氏時代の建物、敷地や設備等は不明だが、細川氏時代の原形はほぼ成就していたのであろう。「国誌」によれば玄関・大広間は上益城かみましき矢部やべ(現矢部町)の阿蘇大宮司家の旧城である岩尾いわお城を解体して造ったと伝える。寛永九年(一六三二)入国した細川忠利も花畑館を居館と定め、同一五年には水道を改修して井手から導水したり、また館の前に橋を架け、同一八年には邸内に小書院を建てて充実を図った(熊本藩年表稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報