船頭村(読み)せんどうむら

日本歴史地名大系 「船頭村」の解説

船頭村
せんどうむら

[現在地名]加古川米田町船頭よねだちようせんどう

平津ひらつ村の南東、加古川下流西岸に位置し、山陽道沿いにある。加古川城主糟屋武則の弟武政が元和年間(一六一五―二四)に帰農したのが始まりと伝える(増訂印南郡誌)元禄郷帳加古川村枝郷と肩書されて村名がみえ、高二九石余。宝暦七年(一七五七)の村明細帳(糟谷家文書)では田六反余・分米七石余、畑二町二反余・分米一六石余、新田畑三反・分米一石余、小物成は材木置場運上・請林運上・弐厘米、家数六五・人数三七一、高瀬舟一一、船持二二。江戸時代初期までは加古川は二筋になって流れており、当地はその間に位置していた(前掲郡誌)。万治元年(一六五八)より姫路藩は川の流れを街道南まで一筋にする普請を行った(播磨鑑)

船頭村
せんどうむら

[現在地名]八百津町和知わち

和知村西端にあり、西は上牧野かみまきの村。木曾川対岸の兼山かねやま(現可児郡兼山町)への渡船がある。元禄郷帳に高一三八石余とある。「濃陽志略」の和知村の項に、支村として船頭と記され、下渡しもわたりともいわれると記される。「濃州徇行記」では和知村の支村下渡組は「民戸十二三ありて立家只三戸のみ、皆水呑百姓なり、和知村にて第一の困窮処なり、田畠はふりわけにて土地あしく旱損処なり」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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