臨時約法(読み)りんじやくほう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「臨時約法」の意味・わかりやすい解説

臨時約法
りんじやくほう

正式には「中華民国臨時約法」という。約法はいわば今日の憲法にあたることば。辛亥(しんがい)革命直後の1912年3月11日に公布。全部で7章56条からなる。ヨーロッパの民主制度と三権分立の思想を参考にして、国家権力政府の組織形態、および国民の権利などを規定しており、ブルジョア共和国の憲法の性質を備えていた。当時、立法部に圧倒的な勢力をもっていた革命派は、臨時約法の制定によって、臨時大統領に就任した袁世凱(えんせいがい)の権力を拘束しようとした。したがって当然ながら立法部優勢主義をとっていた。しかし、革命の成果が袁世凱側に横取りされていくにしたがい、臨時約法は有名無実の空文となり、ついに14年5月1日新約法が袁世凱により発布された。

[倉橋正直]

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旺文社世界史事典 三訂版 「臨時約法」の解説

臨時約法
りんじやくほう

1912年3月に発布された,中華民国創立時の憲法制定までの暫定基本法
立法機関として参議院を置き,大総統の専横を防ごうとした点に特色がある。辛亥革命勃発後に革命派の若手宋教仁らを中心に作成され,臨時大総統孫文のもとで発布する予定だったが,清朝滅亡に対する取引きから袁世凱に臨時大総統が移り,彼のもとで公布された。しかし袁世凱 (えんせいがい) は政府を北京に移し,1914年に国会停止・新約法公布などを行って独裁を強めた。

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世界大百科事典(旧版)内の臨時約法の言及

【辛亥革命】より

…2月12日,皇帝退位の上諭が発せられ,秦の始皇帝以来の王朝支配の終焉をみた。孫文は袁世凱に位をひきつぐまえに民主的な臨時約法(軍政から憲政にいたる過渡期の最高法規。憲法と考えてよい)を作りあげた。…

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