内科学 第10版 「腹水」の解説
腹水(症候学)
腹腔内には内臓相互の摩擦を少なくし,消化管の運動を円滑にするために少量(20〜50 mL)の漿液が存在しているが,腹水とは生理的限界をこえて腹腔内に貯留した液体のことをいう.非炎症性の漏出液(transudate)と腫瘍性ないし炎症性の滲出液(または浸出液,exudate)に大別される.
病態生理
漏出液は腹膜に病変がなく,門脈圧の亢進,血漿膠質浸透圧の低下などが根底にあるもので,滲出液は腹腔内の細菌感染,炎症や癌細胞の浸潤が刺激となって起こる反応である.
1)漏出液:
a)肝性腹水:肝性腹水の代表疾患は肝硬変で,その発現機序は多因子的で複雑である.硬変肝では線維増生,再生結節形成のために肝静脈枝,肝内門脈枝が圧迫され,類洞内静水圧,門脈圧が上昇するが,これらは肝リンパ生成の亢進と腹腔内門脈末梢枝の透過性亢進を導く.これに,低アルブミン血症による血漿膠質浸透圧の低下が加わり,腹水が発現すると考えられている.一方,肝硬変では心拍出量,循環血液量は増加しているが,これは末梢血管抵抗の低下および皮膚,筋肉,諸臓器における動静脈吻合のためであって,血液の多くは吻合部に奪われ有効循環血液量はむしろ減少している.有効循環血液量の減少と肝類洞圧の上昇は種々の神経性・体液性因子(交感神経系,レニン-アンジオテンシン-アルドステロン系,エンドセリン,ADHなど)を刺激し,腎では腎血流量の低下,腎内血流分布異常とともに尿細管でのNa・水再吸収亢進が起こる.末梢血管拡張にかかわる因子としてはエストロゲン,血管作動性腸ポリペプチド(VIP),血管拡張性プロスタグランジン,サブスタンスP,一酸化窒素(NO)などがある.また,交感神経系,エンドセリン,NOなどに共通する刺激因子として腸管由来のエンドトキシンの意義が見直されてきている.
b)腎性腹水:ネフローゼ症候群では低アルブミン血症による膠質浸透圧の低下に伴い,全身性浮腫とともに腹水をきたすことがあり,小児患者にその頻度が高い.成人では膠質浸透圧の低下だけではなく,合併する肝疾患やうっ血性心不全による肝類洞圧の上昇が腹水発生の要因となる.末期腎不全に伴う腹水の発現機序としては透析療法に伴う慢性水負荷に伴う肝うっ血,腹膜透過性亢進,腹膜リンパ管灌流障害,低アルブミン血症などの複合要因が考えられる.
c)心臓性腹水:うっ血性心不全では肝類洞圧が上昇し,門脈圧が亢進する.さらに,心拍出量の低下のために有効循環血液量が減少し,交感神経系,レニン-アンジオテンシン-アルドステロン系,バソプレシンが刺激されて,腎でのNa・水の再吸収が亢進する.
d)甲状腺機能低下症による腹水:毛細血管の透過性亢進による蛋白漏出,リンパ導出障害などが考えられている.
2)滲出液:
a)悪性腫瘍性腹水:悪性腫瘍性腹水の貯留機序としては,腫瘍血管の透過性亢進と腹膜リンパ管の吸収障害が重要である.壁側腹膜には腫瘍血管が著明に増生し,血管新生の程度は腹水量に相関する.また,腫瘍が分泌する糖蛋白が血管の透過性亢進にかかわり,血管内皮細胞増殖因子(VEGF),血管透過性因子(VPF),マトリックスメタロプロテイナーゼ(MMP)などが腫瘍血管新生にかかわるとの成績がある.
横隔膜リンパ管への腫瘍の直接浸潤はリンパ灌流を妨げ,胸管が閉塞したときは乳び腹水となる.
b)炎症性腹水:感染性腹膜炎では起因菌に対して好中球などの炎症細胞が動員され,サイトカイン,プロスタグランジン,キニン,ヒスタミンなどの炎症性メディエーターが大量に産生されるとともに,血管透過性が亢進して滲出液が貯留する.膵性腹水は膵仮性囊胞の腹腔内破裂,膵管からの膵液漏などが原因となり,腹水アミラーゼが高値となるとこれが刺激となりアルブミンの腹水中への流出を招く.
鑑別診断
1)腹水の存在証明:
腹水貯留時には患者は腹部膨満感を訴え,腹囲,体重が増加する.身体所見としては側腹部の膨隆,側腹部の濁音界,濁音変換現象,波動の証明などがあるが,少量腹水の確認は困難である.超音波検査ではわずか100 mL の腹水でもecho-free spaceとして確認でき,CT検査では少量腹水の貯留状態を立体的に把握できる.仰臥位をとった場合に微量腹水は,上腹部では右肝下部窩(Morrison’s pouch)や脾周囲腔に,下腹部ではDouglas窩,特に右傍結腸溝に貯留しやすい.
2)穿刺腹水の鑑別:
試験穿刺により得た腹水の原因疾患診断のフローチャートを図2-21-1に示す.腹水の外観からでも原因疾患の推定は可能であり,膿性であれば化膿性腹膜炎や結核性腹膜炎が考えられ,血性であれば悪性腫瘍であることが多い.乳び腹水であれば,リンパ管系のうっ滞や破壊をきたす悪性腫瘍や炎症が考えられる.悪性腫瘍のなかでは胃癌,膵癌,悪性リンパ腫などの頻度が高く,結核性の乳び腹水は最近ではほとんどみられない.胆汁性腹水は胆汁性腹膜炎でみられ,淡灰黄色ゼリー状の粘性腹水は腹膜偽粘液腫に特徴的である. 腹水は,その蛋白濃度によって2.5 g/dL以下ならば漏出液,4.0 g/dL以上ならば滲出液と定義されてきたが,判断に迷う例もあり,血清と腹水のアルブミン濃度差が1.1 g/dL以上であれば漏出液,それ未満であれば滲出液という鑑別法が有用である.この血清腹水アルブミン較差は肝類洞圧,肝静脈圧較差を反映するため,血清腹水アルブミン較差が1.1 g/dL以上なら門脈圧亢進症性,それ未満であれば非門脈圧亢進症性と考える.
3)門脈圧亢進症性腹水:
門脈圧亢進症性腹水はさらに腹水蛋白が2.5 g/dL未満の例と2.5 g/dL以上の例に大別される.2.5 g/dL未満の例は線維増生による肝類洞の毛細血管化のために類洞の蛋白透過が妨げられた状態で,肝硬変や晩期のBudd-Chiari症候群などが考えられる.2.5 g/dL以上の例は肝類洞の構造がほぼ正常であることを意味し,心性腹水,肝静脈・類洞閉塞症,早期のBudd-Chiari症候群,末期腎不全,甲状腺機能低下症に伴う腹水などが考えられる. 肝硬変腹水で特に注意しなければならないのは特発性細菌性腹膜炎(spontaneous bacterial peritonitis: SBP)の合併である.本症を示唆する発熱,腹痛,腹部圧痛,Blumberg徴候などの頻度は低く,腹水好中球数算定と細菌培養は必須である.細菌培養ではベッドサイドで腹水をカルチャーボトルに直接入れる方法の感度が高い.腹水中の細菌の証明には一両日を要するため,外科的腹腔内感染がなく,腹水好中球数250/μL以上であればSBPとして早期治療に踏み切る.
4)非門脈圧亢進症性腹水:
悪性腫瘍性腹水と炎症性腹水の鑑別が重要である.腹水細菌培養検査,細胞診,血清・腹水腫瘍マーカーの測定を行い,必要に応じて超音波検査,CT,MRIなどの画像検査,消化管X線・内視鏡検査を加える.癌性腹膜炎の原因としては胃,膵,肝,大腸,卵巣,子宮などの腹腔内臓器の癌腫の腹膜播種の頻度が高いが,成人T細胞白血病のような血液腫瘍でも腹水をきたすことがある.腹水の塗抹・培養での結核菌陽性率は低く,PCR法での陽性率も低いことから,結核性腹膜炎については画像検査も合わせて総合的に判断する.腹腔鏡検査がときに有用であり,腹膜上に粟粒大ないし小豆大の黄白色結節をびまん性にみる.この小結節を採取し乾酪壊死を伴う肉芽腫や,鏡検あるいは核酸増幅試験や培養により結核菌の存在を証明する. 腹水アミラーゼ活性の上昇は,急性膵炎,慢性膵障害(偽囊胞,膵管破綻,膵管狭窄)などのほか,悪性腫瘍の腹膜転移や消化管,胆道壊死による腹膜炎でも認められるが,腹水アミラーゼ活性と蛋白量が著しく高い例では膵性腹水をまず疑い,画像診断を駆使して確定診断に努める. 腫瘍性腹水と肝硬変腹水を鑑別するうえで細胞診は欠かせないが,腹水中LDH/血清LDH比>1.0,腹水中CEA>10 ng/mL,フイブロネクチン>75 μg/mL,コレステロール>48 mg/dL,中性脂肪>75 mg/dLは腫瘍性腹水を示唆する. ネフローゼ症候群では尿中への蛋白漏出のために血清アルブミンが低値となり,腹水は漏出液であるが血清腹水アルブミン較差が1.1 g/dL未満となる.
5)血性腹水:
血性腹水は,腹水中赤血球数が104個/mL以上のときに意味があり,特に肝癌,卵巣・子宮・胃・腸および膵癌などによる癌性腹膜炎のほか,結核性腹膜炎および急性膵炎時にもみられる.血性腹水の原疾患の約1/3は肝癌であり,肝癌破裂に加えて,肝腫大,腫瘍塞栓による門脈本幹の完全閉塞および肝癌の横隔膜への直接浸潤が原因となる.なお,突然のショックとともに血性腹水が認められた場合,肝癌,子宮外妊娠および動脈瘤の破裂を考える.[福井 博]
出典 内科学 第10版内科学 第10版について 情報