脇谷村(読み)わきたにむら

日本歴史地名大系 「脇谷村」の解説

脇谷村
わきたにむら

[現在地名]桃山町脇谷

たか山を中心にその南北両山麓を村域とするが、北側の大部分山地である。北は神田こうだ村、東南野田原のたはら村、西は上野うえの村の山地に接する。村名について「続風土記」には「野田原村の脇にあるを以て脇谷といふ、村中谷二つあり、北にあるを北谷といふ、南にあるを藤六谷といふ、二谷神縄掛界にて合流し野田原川に落つ、藤六谷の中程中筋といふ」とある。

脇谷村
わきやむら

[現在地名]桃生町脇谷

南西流する北上川の南側、南東方にある茶臼ちやうす山の北・西麓に集落がある小村。村北方を気仙けせん道が通る。慶長五年(一六〇〇)の葛西大崎船止日記(伊達家文書)の葛西中に「わき屋の内 ふね壱そう」とある。寛永六年(一六二九)登米伊達家二代白石刑部太輔(宗貞)宛の伊達政宗領知黒印状(同文書)登米とめとして「腋谷村」とあり、七貫四六三文が記される。正保二年(一六四五)まで白石氏の所領があった(登米藩史稿)。寛永二一年笹町新左衛門は当村など三ヵ村の都合八七貫九〇〇文が与えられ、以後加増されて慶安五年(一六五二)には九一貫二三五文を知行している(「伊達忠宗領知黒印状」伊達家文書)

脇谷村
わきだにむら

[現在地名]吉永町和意谷わいだに

和意谷川沿いの南北に細長い谷間にある。東は和意谷新田、北はかし村。慶長一八年(一六一三)和気郡御勘定帳に村名がみえ、物成三一石余、夫米一石余。正保郷帳によれば高四六石余。「備陽記」では田畑二町八反余、家数六・人数三七。文化年間の「岡山藩領手鑑」によれば直高七四石余で蔵入。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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