胆振線(読み)いぶりせん

日本歴史地名大系 「胆振線」の解説

胆振線
いぶりせん

旧日本国有鉄道の路線名。現在は廃線となっている。室蘭本線伊達紋別だてもんべつ駅から上長和かみながわ(ともに現伊達市)壮瞥そうべつ駅―久保内くぼない駅―蟠渓ばんけい(現壮瞥町)北湯沢きたゆざわ駅―優徳ゆうとく駅―新大滝しんおおたき(現大滝村)御園みその駅―北鈴川きたすずかわ駅―喜茂別きもべつ駅―留産るさん(現喜茂別町)南京極みなみきようごく駅―東京極駅―京極きようごく駅―北岡きたおか(現京極町)寒別かんべつ駅―参郷さんごう駅―六郷ろくごう駅を経て函館本線倶知安くつちやん(以上現倶知安町)に至る。延長八三キロ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「胆振線」の意味・わかりやすい解説

胆振線
いぶりせん

旧日本国有鉄道の線路名称。旧胆振線は、伊達紋別(だてもんべつ)―倶知安(くっちゃん)間(北海道)83.0キロメートル、全線単線、長流(おさる)川と尻別(しりべつ)川に沿って走った。沿線には洞爺(とうや)湖や壮瞥(そうべつ)温泉などの観光地、かつては倶知安鉱山、徳舜瞥(とくしゅんべつ)鉱山などの鉄鉱山があり、鉄道もその輸送を主たる目的としてつくられたが、これら鉱山はすでに閉山されている。1919~1920年(大正8~9)倶知安―京極(きょうごく)―脇方(わきかた)間が国鉄京極(軽便)線として、1928年(昭和3)京極―喜茂別(きもべつ)間が胆振(いぶり)鉄道として、1940~1941年喜茂別―伊達紋別間が胆振縦貫鉄道としてそれぞれ開業した。胆振縦貫鉄道は、1941年に胆振鉄道を合併し、1944年国有化されたことで、京極線とあわせて胆振線となった。1943~1945年伊達紋別―壮瞥間で、昭和新山の噴出と広い地域にわたる隆起の影響を受けて、線路の移設が行われた。乗客数の減少により1986年(昭和61)廃止された。

青木栄一・青木 亮]

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