老松神社(読み)おいまつじんじや

日本歴史地名大系 「老松神社」の解説

老松神社
おいまつじんじや

[現在地名]鳥栖市曾根崎

曾根崎そねざきの集落南部に鎮座祭神菅原道真。天暦元年(九四七)山城国北野きたのよりの勧請という。藩政時は対馬藩領基肄しも郷の惣社であった。旧村社。貞享二年(一六八五)に書かれた荒穂あらほ神社縁起には、小倉こくら(現三養基郡基山町)の老松宮を二宮老松大明神五社とし、当社を三宮老松大明神三社として荒穂神社(現三養基郡基山町)の末社としている。

老松神社
おいまつじんじや

[現在地名]上峰村大字前牟田字上米多

近世米多めた村の産土神社で、現在上米多の微高丘陵地にある。菅原道真を祀る。旧村社。無格社合祀によって応神天皇・仁徳天皇・素戔嗚尊・市杵島姫命を合祀する。もともと太宰府天満宮安楽寺領米多庄の鎮守社で、合祀された八幡宇佐宮領米多庄の鎮守八幡宮は寺家じけ村との境、八幡宮跡石碑の立つ地にあった。延元二年(一三三七)菊池氏の一族姉川氏の創建、慶長年中(一五九六―一六一五)鍋島周防守清虎の再建といわれる。

老松神社
おいまつじんじや

[現在地名]防府市お茶屋町

桑山くわのやまの東方に鎮座。古くは松崎まつざき天満宮(現防府天満宮)の摂社とされ、東隣に萩藩の御茶屋があった。祭神は素戔嗚尊・大己貴命・天穂日命。菅原道真・吉祥女君ほかを配祀する。旧郷社。

社伝によれば白雉三年(六五二)の創建といい、初め須佐すさ神社と称したが、貞観一四年(八七二)に老松神社と改称したとする。老松社を有名にしたのは菅原道真との関係で、「注進案」は祭神を「吉祥女 菅原道真卿御母君也」として、菅原道真の母で貞観一四年に没した吉祥女を主神としている。

老松神社
おいまつじんじや

[現在地名]高来町平原

さかい川と湯江ゆえ川に挟まれた地に鎮座。祭神は菅原道真。旧郷社。建仁年間(一二〇一―〇四)の創祀と伝え、湯江の三部壱さんぶいち平原ひらばる氏神として祀られたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報