羽賀寺(読み)ハガジ

デジタル大辞泉 「羽賀寺」の意味・読み・例文・類語

はが‐じ【羽賀寺】

福井県小浜市にある高野山真言宗の寺。山号は、本浄山。開創は霊亀2年(716)、開山は行基。千手観音立像・羽賀寺縁起などがある。

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精選版 日本国語大辞典 「羽賀寺」の意味・読み・例文・類語

はが‐でら【羽賀寺】

福井県小浜市にある高野山真言宗の寺。山号は本浄山。神亀二年(七二五元正天皇の勅願によって行基が開創したとされる。

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日本歴史地名大系 「羽賀寺」の解説

羽賀寺
はがじ

[現在地名]小浜市羽賀

羽賀集落の奥深い山腹にある。霊亀二年(七一六)行基の創建と伝える。本浄山と号し、高野山真言宗。本尊十一面観音。かつては寺坊一八を数えたというが、今は本堂一宇を残すのみ。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔創建伝承〕

寺蔵の伝伊予法眼筆「本浄山羽賀寺縁起」によれば、霊亀二年(七一六)二月、神の鳥が来てこの山頂にとまった。舞上がり舞降り五色の羽毛を輝かし、うるわしい声で鳴いた。聞くものはこれに感じ、ともに欲望を忘れるに至るものであった。いまだ人が聞かないうちに三日にしてまっすぐ天にむけて飛び上り去っていった。ある者が登って山の嶺をみると、その羽毛が二枚残っていた。その色は溶けた赤銅のごとくで、その赤はたとえようもなかった。若狭国の目代がこれを取上げて献上した。帝が左右の官吏にこれをみせたが、その鳥の名を知るものはいなかった。帝が行基に質問したところ、行基はこれは鳳凰の翼の羽である、鳳凰が出現すれば天下に慶事がある、これは太平の旗印である。そして鳳凰の降ったところには必ず玉が生じる。その地を調べるべきであると答えた。調べたところ、そのとおりに一顆の玉を得て帝に献納した。帝は羽毛の祈福を賀し、その地に寺を創建した。山号を鳳聚寺といい、称して羽賀という。寺は天暦元年(九四七)八月下旬の洪水埋没、翌年雲居うんご(現京都市東山区)の浄蔵が再興して勅願所となり、同四年寺領四町三反が寄進されたという(同縁起)。「若狭守護代記」には「頼朝公若狭遠敷郡国富庄羽賀寺ノ霊勝タルヲ聞召テ、三重ノ塔婆ヲ建立シ玉ヒ、国富庄ニ於テ田五町ヲ寄附シ玉フ」とある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「羽賀寺」の意味・わかりやすい解説

羽賀寺
はがじ

福井県小浜(おばま)市羽賀にある高野山真言(こうやさんしんごん)宗の寺。本浄山と号する。本尊は十一面観音菩薩(かんのんぼさつ)。716年(霊亀2)行基(ぎょうき)の開創と伝える。947年(天暦1)山津波によりすべての堂塔を失ったが、雲居(うんご)寺の浄蔵が霊力によって土中の本尊を発見し、伽藍(がらん)を再建し寺運隆盛を迎えたといわれる。1190年(建久1)源頼朝(よりとも)が三重塔(焼失)を寄進、1447年(文安4)安倍康季が本堂(国重文)などを再建、山号を鳳聚(ほうじゅ)山から現山号に改めた。寺宝には本尊の十一面観音立像、毘沙門天(びしゃもんてん)立像、千手(せんじゅ)観音立像、後陽成(ごようぜい)天皇勅筆の羽賀寺縁起(いずれも国重文)などがある。

[眞柴弘宗]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「羽賀寺」の意味・わかりやすい解説

羽賀寺
はがでら

福井県小浜市にある真言宗の寺。鳳聚山と号する。霊亀2 (716) 年に鳳凰が飛来したのにちなんで,行基が創設したという。その後,水害で流失したが再建されて勅願所となり,源頼朝,細川氏,豊臣秀吉らの保護を受けた。『羽賀寺縁起』その他を蔵する。

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デジタル大辞泉プラス 「羽賀寺」の解説

羽賀寺

福井県小浜市にある高野山真言宗の寺院。1447年に建てられた本殿は国の重要文化財に指定されている。

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