美濃屋町(読み)みのやちよう

日本歴史地名大系 「美濃屋町」の解説

美濃屋町
みのやちよう

下京区木屋町通松原上ル

ほぼ南北に通る木屋町きやまち通に西面し、町の西側を高瀬たかせ川が、東側をかも川が流れる。

平安京では京域外で、崇親すうしん院領となっていた。

寛文九年(一六六九)、一〇年にかけての鴨川筋新堤建設以後、町地として開発された。寛文一二年洛中洛外大図に「ミのや丁」とあり、以後の洛中絵図では「美濃屋町」とみえ、江戸時代を通じて町名の変更はない。現町名の由来を「坊目誌」は、寛文一〇年美濃屋源右衛門が許可を得て畑地を開拓して町地としたことによるとする。

享保一八年(一七三三)の式目帳(北村伝兵衛家文書)年貢銀の役所への直納願によれば、高瀬川筋の町々が京都代官小堀仁右衛門の支配であり、年貢は銀納で蔵入地であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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