美濃一国郷帳(読み)みのいつこくごうちよう

日本歴史地名大系 「美濃一国郷帳」の解説

美濃一国郷帳(慶長郷帳)
みのいつこくごうちよう

一冊

原本 徳川林政史研究所

解説 慶長六年から寛永初年までの美濃国の領主を書継ぎ、整理した領知帳形式のもの。成立は寛永四、五年の頃と推定される。表紙には慶長六年の年紀と寺社領小物成共の注記があり、奥書には慶長一八年の年紀と持主として三宅村岩田文右衛門の名が記される。天正一四年の木曾川洪水に伴い、尾張国から美濃国に編入された海西・中島・羽栗三郡のほか、のち伊勢国に編入される尾張国長島郡の記載もある。ただし海西・中島・羽栗三郡は、末尾の郡高の記載では尾州之内とある。村の郡所属には若干の異同がみられる。総高六〇万一千四八石余、うち尾州領一万三千九八四石・金森長近領二千石・菅沼定仍領一万三三五石余で、濃州分として五七万四千七二八石余とある。前出の三宅村は慶長一二年から元和四年まで稲葉正成領、同五年以後は尾張藩領となる村で、奥書の慶長一八年と符合する。幕府蔵入地は大久保長安支配の四万二千五六九石余をはじめ、岡田善同支配の三千二九八石余など七万三千八七石余の村が書上げられている。岡田善同支配の可児郡土田村は元和元年に尾張藩領に編入される村であり、やはり奥書の慶長一八年と符合する。以上のように大半の村は慶長期の領主を示している。しかし大垣藩領の村は元和二年に下総国関宿から大垣へ転封した松平忠良領、元和五年から尾張藩領となる今尾村が竹腰山城守領、寛永二年近江国神崎郡の采地の一部を美濃国安八・本巣・山県三郡の内に移される三淵伯耆守・奥山次右衛門領であったりする。慶長六年徳川家康は関ヶ原合戦後の諸国の蔵入地や大名旗本知行高を一覧できる資料の提出を求め、その要請に応じて作成されたものが国郡別の郷帳や国絵図であった。しかし美濃の郷帳・国絵図は残存しない。当郷帳は慶長の美濃国郷帳そのものではないが、領主別に近世初期の領主関係や各村高・郡高、美濃国総高などがわかる重要な史料となっている。「岐阜県史」史料編近世一所収。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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