紺屋町村(読み)こんやまちむら

日本歴史地名大系 「紺屋町村」の解説

紺屋町村
こんやまちむら

[現在地名]押水町紺屋

宝達ほうだつ山から流出する前田まえだ川扇状地に位置する。前田川右岸に縄文中期の集落遺跡であるホンデン遺跡、七世紀末の紺屋町向野こんやまちむかいの窯跡がある。正和元年(一三一二)頃の水引神人沙汰進分注文案(三宮古記)に「英田村紺一端賀茂畷ヨリ北大見河」とあり、白山本宮の水引神人の求めで紺掻商人たちが大見おおみ(大海川)まで進出していたことが知られるが、村名はこれと関係があるともいわれ、集落北西部にあった「ジヨウデン」とよばれた中世の館跡は、商品流通にのって台頭した小土豪の居館跡とみられている。

紺屋町村
こんやまちむら

[現在地名]野洲町上屋かみや

永原ながはら村の東にあり、南は上永原村。西を朝鮮人街道が走る。集落は南部の字角田すみた付近に集中し、朝鮮人街道に沿う永原村の家並に続く。上永原村の字与六郎よろくろさとうち見星寺けんしよじにも飛地があった。条里の七条三里一五坪に比定される字十五じゆご地名が残り、近年まで当地全域に典型的な条里地割が認められ、中央を縦断する大溝川も条里地割に沿って流れる。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)に紺屋町とみえ九二九石余。慶長検地では田五〇町七反余・畑三町五反余(延宝七年「検地帳」野洲町史)。元和七年成箇帳(芦浦観音寺文書)では高七三〇石余のうち引方は池成二七石余・いもち日損一九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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