紡績業(読み)ぼうせきぎょう

百科事典マイペディア 「紡績業」の意味・わかりやすい解説

紡績業【ぼうせきぎょう】

繊維からを紡ぐ産業。綿紡績を中心に,羊毛紡績,麻糸紡績絹糸紡績,化学繊維紡績などの各分野がある。日本の綿紡績業は十大紡と呼ばれた大企業を中心に,第2次大戦前の産業発展を主導してきた。戦後は化学繊維,羊毛の伸びが著しかった。1997年の事業所数163社で出荷額3820億円。→紡績繊維工業綿業

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世界大百科事典 第2版 「紡績業」の意味・わかりやすい解説

ぼうせきぎょう【紡績業】


[初期の紡績業]
 各種の繊維から糸を紡ぐ産業のことであるが,代表的なのは綿糸紡績業である。江戸時代までの綿糸は手紡ぎによって生産され,紀伊淡路などの特産地も形成されたが,一般には製織と結合した形で農村家内工業として営まれ,その従事者は数百万人に上ったと推定される。開港後,イギリス品を中心とする良質,安価な綿糸布の輸入によって,手紡ぎの衰退と生産性の高い機械制工場建設の動きが始まった。まず薩摩藩が1867年(慶応3)イギリス製機械による鹿児島紡績所鹿児島に開設した。

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世界大百科事典内の紡績業の言及

【寄宿舎】より

…【佐藤 秀夫】
【企業における寄宿舎】
 雇用主が雇用労働者を集団的に宿泊せしめるための施設であるが,普通はいわゆる女工のためのものを指す。以下,綿糸紡績業の場合を中心に説明する。日本の紡績業は1880年代の後半から対外競争力を持つようになったが,これに大いに寄与したのが寄宿舎制度であった。…

【在華紡】より

…中国において日本資本が経営した紡績業。三井物産上海支店が1902年興泰紗廠買収を主導してこれを上海紡績に改組し,その経営を引き受けたのをはじめとして,11年にはやはり商社の内外綿会社が上海に工場を建設して進出した。…

【産業革命】より

…【川北 稔】
【日本の産業革命】
 日本の産業革命は,松方財政による紙幣整理と広範な農民の没落を前提にして,1886‐89年の企業勃興をもって始まり,日清・日露戦争の間に急速に進展し,日露戦後の1910年ころに終了し,日本資本主義の確立をみるにいたる。1886‐1909年の工場数・労働者数の増加に示されるように,その過程で工場制工業の発達を主導したのは,紡績業と製糸業を先頭とする綿・絹2部門の繊維工業であった(表)。そのほかでは,官営工場の比重の高さと,運輸通信業・鉱山業における労働者数の増加が注目される。…

【繊維工業】より

…繊維原料または繊維を加工して繊維製品を生産する工業。具体的には生糸を製造する製糸業,綿,化学繊維,羊毛,絹,麻などの糸を製造する紡績業,撚糸(よりいと)を製造する撚糸(ねんし)製造業,各繊維の糸から織物を製造する織物業(織物工業),ニット製品を製造するニット製造業,糸,織物などの染色,漂白などを行う染色整理業,綱や漁網を製造する綱・網製造業,レースや組紐(くみひも)などを製造するレース・繊維雑品製造業などがある。洋服などのファッション性の強い繊維製品については〈アパレル産業〉〈ファッション産業〉の項目を参照されたい。…

【日本資本主義】より


[繊維工業の主導性]
 第3に,それと対照的に繊維(紡織)工業が民間の工場制工業発達において主導的地位を占め,資本主義経済の基軸を構成していったことである。日本の繊維工業は綿業と絹業の二大部門から構成されていたが,工場制工業の発達を主導したのは綿業の紡績業と絹業の製糸業である。紡績業は紡績機械と原料綿花を輸入に依存し,最初から典型的な機械制大工業として発達し,輸入インド綿糸と対抗して国内市場を制覇するや,いち早く朝鮮および中国市場へ進出し,日露戦争後には朝鮮市場を支配し,中国市場でもインド綿糸を圧倒するに至る。…

※「紡績業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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