紀伊国町(読み)きのくにまち

日本歴史地名大系 「紀伊国町」の解説

紀伊国町
きのくにまち

[現在地名]徳島市八百屋町やおやまち三丁目

なか町の西に続く東西の通りに沿った町人地。西は西横にしよこ町に至る。「阿波志」によると徳島城下町形成期には中町に属していたが、当地に紀伊国出身者が来住し商いを始めたことから紀伊国町となったという。「異本阿波志」は紀伊国町から中町・八百屋町が分れたとしている。貞享二年(一六八五)の市中町数並家数(民政資料)では紀伊国町の町筋は東西三町で家数は八七軒。これは八百屋町・中町を含む数値であった。元禄四年(一六九一)御山下絵図には八百屋町東一丁目・中町二丁目とは別に紀伊国町西一丁目と記載される。寛文七年(一六六七)七月二七日、当町の米屋喜三右衛門宅より出た火事は稲田九郎兵衛の徳島屋敷をはじめ蜂須賀式部・蜂須賀隼人・稲田三郎兵衛の屋敷、寺島御役者屋敷、侍屋敷など武家地の計一四軒と、うち町の町家四二〇軒、丁数にして一九丁五八間を焼いた(阿淡年表秘録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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