糸満村(読み)いちまんむら

日本歴史地名大系 「糸満村」の解説

糸満村
いちまんむら

[現在地名]糸満市糸満いとまん

報得むくいり川の河口左岸に位置し、北は同川を挟んで兼城かにぐすく村、東は照屋ていーら村、南は南の潟(ヘーンカタ)を挟んで高嶺たかんみ間切真栄里めーざとう村、西は海に面する。楊文鳳に「泛糸満湖」と題する次の作品がある(四知堂詩稿)。「瀲艶晴湖一鑑融 扁舟偶盪夕陽風 幾湾流水開明鏡 百尺長橋臥彩虹 桂楫軽随波上下 蘭橈徐過岸西東 櫓声欸乃湖声緩 帆影参差日影紅 錦纜牽時驚浴鷺 牙檣動処駭帰鴻 扣舷適意高歌後 新月依稀漾碧空(瀲艶たる晴湖 一鑑融り/扁舟偶〔たまたま〕盪〔うご〕く夕陽の風/幾湾の流水 明鏡を開き/百尺の長橋 彩虹に臥す/桂楫軽く随う 波の上下するに/蘭橈徐〔おもむろ〕に過ぐ 岸の西東/櫓声欸乃〔あいだい〕として湖声緩く/帆影参差として日影紅なり/錦纜牽く時 浴鷺を驚かし/牙檣動く処 帰鴻を駭〔おどろ〕かす/舷を扣〔たた〕き意に適う高歌の後/新月依稀として碧空に漾〔ただよ〕う)」。

絵図郷村帳・琉球国高究帳では島尻兼城しまじりかにぐすく間切「いとまむ村」、「琉球国由来記」には兼城間切糸満村とみえる。高究帳では照屋村と併記され高頭一三八石余、うち田七三石余・畠六五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報