粒江村
つぶえむら
[現在地名]倉敷市粒江・粒江団地・粒浦・東粒浦
藤戸村の西、種松山(二五八・四メートル)の北に位置し、潮川(倉敷川)に渡船があった。同山北麓に縄文時代の船元貝塚などがあり海辺であった。元暦元年(一一八四)の藤戸合戦が行われた藤戸渡は、当地から東の藤戸一帯の内海であり、合戦に由縁の史跡が多く残る。「備中誌」によれば西方の五軒屋の北通りは天正年中(一五七三―九二)までは内海で、元和元年(一六一五)より四年まで河原草野になり、以前は西国大名の船や商船が運航していたという。
清田八幡神社の元和元年の上葺再興棟札に「つふへ村」、同三年の児島郡物成帳には「つふゑ」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報