筒城宮跡(読み)つつきのみやあと

日本歴史地名大系 「筒城宮跡」の解説

筒城宮跡
つつきのみやあと

普賢寺ふげんじ川の北の丘陵の字都谷みやこだに辺りに仁徳天皇皇后磐之媛が住んだ筒城宮、および継体天皇の皇居があったという。「筒城宮址」と「継体天皇皇居故趾」の石標がある。

「日本書紀」仁徳天皇三〇年九月条に、磐之媛が御綱葉を取りに紀国に行っている最中、天皇が八田皇女宮中に入れたために、大いに恨んで御綱葉を海に投げ捨て、やがて那羅なら山を越えて故郷の葛城を望んで歌を詠み、山背に帰って「宮室を筒城岡の南に興りて居します」とある。皇后は天皇のもとに返らず、同三五年六月条に「皇后磐之媛命、筒城宮に薨りましぬ」とある。一方、「古事記」は同じことを皇后が「筒木つつきの韓人、名は奴理能美の家に入りましき」と記し、その理由を奴理能美の家で飼う「三くさに変る奇しき虫」(蚕)を「看そなはしに入りませるのみ」と天皇に答えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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