笹屋町(読み)ささやちよう

日本歴史地名大系 「笹屋町」の解説

笹屋町
ささやちよう

中京区東洞院通御池下ル

南北に通る東洞院ひがしのとういん(旧東洞院大路)を挟む両側町。北を現御池おいけ通、南を姉小路あねやこうじ(旧姉小路)が通る。

平安京の条坊では、町の東側が左京三条四坊二保三町西、西側が同三坊三保一四町東。平安中期以降は三条坊門東洞院大路の南にあたる。

百錬抄」永暦元年(一一六〇)四月二九日条に、「内侍所神鏡奉納新造辛、去年十二月二十六日信頼卿乱逆之間師仲卿破御辛、奉御体、於桂辺一宿、其後奉清盛朝臣六波羅亭、造仮御辛納、自師仲卿姉小路東洞院家、所御温明殿也」とあり、当町西半には、源師仲の宅があった。

笹屋町
ささやちよう

[現在地名]中区にしき三丁目

針屋はりや町の南にあり、本重もとしげ町筋の半町上より広小路ひろこうじまでの二丁半をさす。広小路の先には武家屋敷が両側に並ぶ。呉服ごふく町筋の碁盤割南端に位置する。清須の朝日きよすのあさひ(現西春日井郡)内の八重屋敷が引越したため、清須越しの初めは八重やえ町と称した。

笹屋町
ささやちよう

下京区東洞院通下珠数屋町上ル

南北に通る東洞院ひがしのとういん(旧東洞院大路)を挟む両側町。

平安京の条坊では左京七条四坊二保三町西南隅及び七条三坊三保一四町東側、平安時代中期以降は北小路東洞院大路北にあたる。

町の形成は慶長七年(一六〇二)東本願寺寺領となり、寺内町形成に伴い同地一帯の市街地化に始まる。寛永一四年(一六三七)洛中絵図には町名は出ないが「町地」と記される。

笹屋町
ささやちよう

中京区麩屋町通竹屋町下ル

南北に通る麩屋町ふやちよう通の両側町で、北は竹屋町たけやまち通、南は夷川えびすがわ通。

平安京の条坊では左京二条四坊三保一四町の西寄りに位置する。

町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「笹や町」とあり、寛永一八年以前平安城町並図のみ「舟や町」とするが、ほかは「笹屋町」となっている。

笹屋町
ささやちよう

[現在地名]大津市中央ちゆうおう二―三丁目

葭原よしはら町より中町通の玉屋たまや町へ抜ける横町さくら町ともいい、元禄八年町絵図には桜町の家数二二とあり、町の南東部に町番屋が置かれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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